🗓 2023年08月13日
2023年は朝河貫一博士の生誕150年だそうだ。親戚でもある郡山市の安積国造神社の宮司・安藤智重さんが自費でマンガを製作するという。数年前米国イエール大学に朝河ガーデンが作られた。福島県では野口英世が有名であるが、朝河貫一も世界的に有名だ。
戦争直前にルーズベルト大統領から日本の天皇に親書を送らせることに成功したが、届いたのは真珠湾攻撃の後だった。戦争回避に最後まで努力した日本人であるが、国内はもとより、福島県でもあまり知られていない。
実を言うと朝河貫一と新島八重はつながりがある。朝河博士は現安積高校(旧福島尋常中学校)を卒業し、早稲田を首席で卒業した。早稲田在学時に大きな影響を与えたのは同志社大学卒業の横井時雄である。その影響でクリスチャンにもなった。
横井時雄の最初の妻はみねといい、山本覚馬の娘(二女・長女は夭逝))である。徳富蘆花の「黒い眼と茶色い目」にも出ているが、横井時雄(文中ではいせ)とみね(おいね)は頻繁に出てくる。すなわち横井時雄は八重の姪の夫なのである。早稲田草創期には安部磯雄や浮田和民をはじめ同志社出身の教授がたくさんいた。朝河貫一は横井時雄を尊敬していた。横井時雄の父は熊本の儒学者横井小楠である。小楠は福井藩にも勤め佐久間象山と並ぶ幕末の思想家であったが戊辰戦後明治初期に暗殺された。
昨日聖光学院は仙台育英にねじ伏せられてがっかりしたが、今日の朝ネットで朝河貫一を顕彰する記事(父親は二本松藩士)をみていくらか元気を取り戻したのである。
(文責:岩澤信千代)