🗓 2025年03月29日

吉海 直人

昔は卒業式の定番だった「蛍の光」と「仰げば尊し」ですが、最近の卒業式では歌われなくなりましたね。もっとも「蛍の光」は別な形で、例えばNHKの紅白歌合戦のフィナーレで大合唱されていますし、高校野球の閉会式でも演奏されています。また船が出港する時にも、セレモニーとして流されています。図書館などの公共施設やデパート・スーパーなどの商業施設でも、閉店間際にBGMとして流されることが多いようです。
 日本人には馴染みの深い「蛍の光」ですが、この曲の背景には興味深い歴史的変遷があります。まず、原曲がスコットランド民謡だということはご存じですか。地元では「オールド・ラング・サイン」という曲名で親しまれており、準国歌扱いになっています。しかも卒業式どころか、新年のお祝いや結婚式でも歌われているとのことです。もし日本の結婚式で「蛍の光」が歌われたら、縁起が悪いと非難されそうですね。
 次に、この曲が讃美歌にもあることはご存じでしょうか。こちらは讃美歌三七〇番「目覚めよ我がたま」として知られています。おそらく日本には、讃美歌として入ってきたのではないでしょうか。
 さてここで質問です。みなさんは「四七よな抜き」という音楽用語を聞いたことがありますか。これはドレミを数字に置き換えると、四番目がファで七番目がシになります。そのファとシが使われていない五音階のことを四七抜きといいます。もともと日本の古い音楽はこの四七抜きでした。幸い「蛍の光」の原曲も四七抜きだったことから、簡単に日本に溶け込めたというわけです。
 そのためこの曲を尋常小学校唱歌に採用することになりました。その際、現在のような歌詞を稲垣千頴ちかいが作詞して「蛍」という曲に生まれ変わりました。それは明治十四年のことでした。なお、「蛍の光」は原曲では四拍子の曲でしたが、「哀愁」というアメリカ映画(主演はロバート・ティラーとヴィヴィアン・リー)でワルツ(三拍子)に編曲され、効果的に使われました。そこで日本でも、作曲家の古関裕而が採譜と編曲を手がけ、「別れのワルツ」として売り出しました。演奏しているユージン・コスマン管弦楽団は架空のもので、実は古関裕而の名から命名されたものだそうです。閉店間際のBGMには、別れにちなんでこちらを流すことが多いようです。スローテンポですのですぐわかります。
 次に歌詞についてお話します。出だしの「蛍の光窓の雪」が中国の「蛍雪の功」という故事にちなむことはご存じですよね。「蛍」の方は、東晋の車胤は貧乏で灯り用の油が買えなかったので、蛍を集めてその光で本を読んで勉強し、後に偉い人になったという話です。中国の蛍は日本より大きいそうですが、一体何匹集めれば文字が読めるのでしょうか。
 「雪」については、同時代の孫康も貧しくて、窓に積もった雪に反射する月の光で勉強し、後に立派な高官に出世したという話です。二人とも貧しい生活の中で苦学して勉強したお手本というわけです。子どもの教育にはぴったりですね。そんないい話に水を差すようで心苦しいのですが、当時の書物は油なんかよりずっと高額でした。油も買えないような家で、本が読めるはずはなかったのです。逆に本が買えるような家なら、油を買うことなど容易だったはずです。
 それはさておき、歌詞にある「いつしか年もすぎの戸を」は、典型的な和歌の技法です。「すぎ」が掛詞となっており、年が「過ぎる」と「杉の戸」が掛けられています。これは子供にはわかりにくいかもしれません。それに連動して「あけてぞ」も、杉の戸を「開ける」と年が「明ける」の掛詞になっています。
 二番の「かたみに」は互いにの意味ですが、「形見」と受け取られかねません。「ひとことに」は「一言に」ですが、「人ごとに」と勘違いしている人もいるようです。「さきく」は「幸いに」(「まさきく」も同じ)ですが、『万葉集』に「ささなみの志賀のから崎さきくあれど」(三〇番)とある以外、ほとんど使われていない古語(死語)ですから、わかりにくいのも当然です。
 また三番に「別るる道は変るとも、変らぬ心行き通ひ」とあったところ、これは男女間の交際に用いられる表現だと学務局長から指摘されたことで、急遽「海山遠く隔つとも、その真心は隔てなく」と改訂されたとのことです。
 私がここで申し上げたいのは、そんなことではありません。ほとんど知られていない四番の歌詞に注目してください。原作では、

千島の奥も沖縄も八洲やしまの外の守りなり 努めよ我が背つつがなく

とありました。「八洲」は日本のことです。当初、「千島」「沖縄」は日本の領土の外とされていましたが、明治政府による領土拡大に合わせるかのように、歌詞が改訂されていきました。

まずは千島樺太交換条約や琉球の領土確定の後、

千島の奥も沖縄も八洲の内の守りなり

と改訂されています。八洲の「外」だったものが八州の「内」になったのです。続いて日清戦争によって台湾が割譲されると、

千島の奥も台湾も八洲の内の守りなり

と、沖縄から台湾に領土が拡張されました。さらに日露戦争の後には、

台湾の果ても樺太も八洲の内の守りなり

と、千島が樺太に変えられています。なんと卒業式に歌う「蛍の光」の歌詞に、国家政策としての領土拡大の成果が込められていたのです。それもあって四番は、第二次世界大戦後は堂々と歌えなくなっているようです。

なお歌詞に「務めよ我が背」とある点、この歌は女性視点になっていることがわかります。夫や恋人を戦地に送り出す女性の立場から歌われているということです。こうなるともはや卒業式の歌ではないですね。最後の「つつがなく」は、唱歌「故郷ふるさと」でも「つつがなしや」と用いられていますが、ここでは「つつ」という虫が鳴いていると勘違いされたそうです。