🗓 2025年06月26日

吉海直人

 今年の新島八重顕彰祭(6月14日)は例年より参加者が多かったですね。たぶんこれまでの最高記録ではないでしょうか。その顕彰祭で話題になったのが、賛美歌を斉唱する際に、全員が起立したということです。岩澤氏は私が起立したのが目立ったからと報告していますが、私は同志社関係者が増加したこと、そして私の後ろにいた詩吟のメンバーが一斉に起立してくださったことによると分析しています。

実はその前夜に萬花楼で開催された懇親会も、大勢の参加者で賑わっていました。その余興として、同志社関係者による同志社のカレッジソング(英語)が披露されました。私も一緒に歌いましたが、これは顕彰会では初の試みだったと思います。そしてこのことが新たな展開を見せたのです。

奇しくもその翌日の15日、北海道札幌市では同志社150周年記念講演会が開催されました。そこで北海道大学副学長の横田篤氏と、同志社大学同志社社史資料センターの小枝弘和氏が講演されました。これによってウイリアム・スミス・クラークを介しての同志社(新島襄)と北大のつながりが再確認されたのです。しかし話はそれでは終わりませんでした。

同志社校友会北海道支部会及び150周年記念講演会に参加された福島県支部の竹内事務長から、同志社の応援歌「若草萌えて」と北海道大学の恵迪寮(けいてきりょう)の応援歌「都ぞ弥生」のメロデイが似ているという情報がもたらされたのです。

実はその会のオープニングで、北大混声合唱団と同志社グリークラブのジョイントコンサートが行われ、そこで同志社の「ワンパーパス(One purpose)」(ヴォーリス作詞)が披露され、次に北大恵迪寮の「都ぞ弥生」(明治45年)が歌われました。さらに同志社の「若草萌えて」、北大校歌「永遠の幸(とこしへのさち)」とが歌われましたが、なんと後の二曲は同じメロデイだったのです。

北大には長らく校歌がなかったので、創立25周年(明治33年)の記念に校歌が制定されました。音楽取調掛の納所弁次郎が曲を選定し、当時札幌農学校の学生だった小説家の有島武郎が歌詞をつけて完成させたのが「永遠の幸」でした(大和田建樹校閲)。納所は自ら作曲せず、北大にふさわしい曲として、かつて教頭だったクラークに縁のある曲を選定したのです。

それは南北戦争の折に作られた北軍の行進曲でした。クラークは北軍の少佐だったので、この曲がインプットされていたのでしょう。その曲とは、ジョージ・F・ルートが1864年に作曲した「Tramp!Tramp!Tramp!」です。その意味は兵隊の足音(靴音)のオノマトペでした。なおアメリカ大統領は綴りが異なる「Trump」で、こちらはカードゲームの切り札を意味しています。

一方、同志社の「若草萌えて」は昭和初期(1920年代)に、同志社中学校の英語教員だった清水英明氏がこの曲に歌詞を付け、ラグビー部の部歌としました。それが今では同志社大学の応援歌として広く歌い継がれています。しかし同大の応援歌は、必ずしもクラークや新島襄との結びつきは認められません。ですが奇しくもクラークに縁のある曲が、北大と同大で歌い継がれていたことには不思議な縁を感じます。今後も同志社と北大の交流が続くことを願っています。

ところで「ワンパーパス」の原曲は、ドイツの第二国歌「ラインの守り」(C.M.Wilhelm作曲)でした。それが同志社だけでなくイエール大学の校歌としても歌われています。同じくこの「Tramp!Tramp!Tramp!」も、北大校歌・同志社応援歌以外にも広く活用されていることがわかりました。例えば「船乗りの夢」(キャンプソング)、「パトローリングの歌」(童謡)、そして新聖歌「来れよ来れ」(186番)、「イエスは子供を愛している」、黒人霊歌「山に登りて告げよ」、さらにアイルランド民謡「God Save Ireland 」、「In Our Lovely Deseret」 (讃美歌)などです。探せばまだ見つかるはずです。