🗓 2025年08月09日

吉海 直人

令和7年のトピックスとして、「米」の価格の異常な値上がりがあげられます。下手をすると、今年の漢字に認定されかねない勢いです。小泉さん頑張って下さい。そこであらためて「米」について考えてみました。
 「米」という漢字にたいした問題はありません。読みの数にしても一般的な漢字程度だからです。まず音読みとして「ベイ」と「マイ」がありますね。「ベイ」は漢音で「マイ」は呉音ですから、むしろ平凡な部類です。訓読みにしても「こめ」と「よね」で、特別な読みは見当たりません。この四つが「米」に付与されている読みの全てです。他に「亜米利加」「米利堅」(ともにアメリカのこと)の場合だけ「め」と読ませています。
 「米」の意味にしても、単純といえば単純です。ご承知のように「米」という名の植物はありません。「米」の種だから「米」ではないのです。「米」は「稲」の種実ですが、それを「米」と称しているわけではありません。「稲」の種は「籾」です。この「籾」の外皮を取り除いたものを「玄米」といいます。取り除かれた外皮は「籾殻」です。この作業を「穀摺り」といいます。「籾殻」を取り除いたものが「米」です。「稲」の種子を加工したものが「米」なのです。
 その「玄米」は保存に適しているし、ビタミンなども豊富に含まれているのですが、現在私たちが日常食べているのはこの「玄米」ではありません。「玄米」をさらに精米して糠層を削り取ったものが「白米」です。取り除かれたものは「糠」ですね。
 ここで「玄米」と「白米」という漢字を御覧ください。「玄」は黒という意味ですが、「玄米」はそんなに黒いわけではありませんよね。むしろこの「玄」は皮がついたままという意味です。その皮を剥いだものが白米(精米)です。こちらは確かに白いですね。
 なお「糠」には「米」の95%もの栄養分が含まれているとされています。実のところ私たちは「米」のカスを食べているのです。その象徴として知られているのが脚気という病気でした。日本人が玄米を食べていれば、ビタミンB1はちゃんと摂取できますから、脚気に罹ることはありません。ところが明治以降の軍隊で、「白い飯を食べられる」というキャッチフレーズで軍人を募集したことから、軍人に脚気が蔓延したという苦い歴史があります。
 ところで「こめ」と「よね」はどちらが古い言い方なのでしょうか。調べてみると「よね」は『土佐日記』に用例が出ていることがわかりました。「よね」の語源にしても、「いね→いな→よな→よね」と推移したとする説があります。一方「こめ」は『日本書紀』皇極二年十月条の歌謡に「岩の上に小猿渠梅焼く渠梅だにも食げて通らせかまししのをぢ」とあって、この「渠梅」を「こめ」と訓読しているので、資料的には「こめ」の方が古いことになります。
 「よね」と「こめ」の違いとしては、「よね」が雅語的・文章語的性格を有しているのに対して、「こめ」は実用語的・口語的な性格が強かったという説もあります。「こめ」の語源としては、「小目・小実」あるいは「込め」説もあります。稲の種実が小さいから「小め」というわけです。また「込め」というのは儀式的で、魂が籠っていると考えられたのでしょう。それから漢字特有の画数から、「米寿」という表現が考案されています。これは読みではなく「米」が「八+十+八」から形成されていることによります。同様に「八木」もありますが、これは日本人特有というか日本語特有の言語遊戯といえます。
 「米」にはもう一つ特筆すべきことがありました。それは音の類似によって、西洋のメートルを「米(めい)」に置き換えたことです。これは明治15年にメートル方が採用されたことで、従来の尺貫法と共存したことによります。それによって「粍」(ミリメートル)・「糎」(センチメートル)・「粁」(キロメートル)という国字も造られました。その応用で「一メートル」から「一命取る」という掛詞まで作られています。戦後の昭和21年に当用漢字が制定されたことで、「m・㎝」などの記号が用いられています。それによって「米」表記の出番はなくなり、次第に死語化していきました。