🗓 2025年10月04日
吉海 直人
以前、「花より団子」のコラムを書きましたが、その後で大変な勘違いをしていることがわかりました。この諺には常識の落とし穴が潜んでいたのです。ということで、反省の意味を込めて再度コラムを書いてみました。
私のいう大変な勘違いが何のことだかおわかりでしょうか。それは「花より団子」の「花」を当然のように「桜」と思い込んでいることです。というより、「桜」以外の「花」など想像できませんよね。風流より実利を重んじるという事では、「梅」でもかろうじていけそうな気がします。しかしこの「花」は「梅」でもありません。
もともと「花より団子」は最初から諺だったわけではありません。最古の例とされているのは室町時代の俳諧でした。山崎宗鑑の『新撰犬筑波集』(1532年頃成立)に、
とあるのがそれです。「岩つつじ」の「いは」は、「岩」と「言は」の掛詞になっています。その時にすぐに気づけばよかったのですが、読み飛ばしてしまいました。あらためて注目すると、この句は「つつじ」が季語となっています。季節は晩春から初夏です。要するにこの句の花は「つつじ」でしかありえません。ここに「桜」が入り込む余地はないのです。
それが下って松永貞徳の時代になると、広がりが生じてきます。貞徳の『犬子集』(1633年成立)には、彼の代表作の一つとされている、
が出ていました。ただしこの句から、「花」が何なのかは決められそうもありません。ただし「帰る雁」は春の季語ですね。ところがこの句が踏まえている『古今集』春上の伊勢歌、
に立ち戻ると、この「花」は「桜」のことになります。
それだけではありません。貞徳は『貞徳百首狂歌』(1636年)に、
という狂歌を詠んでいます。この狂歌では「桜」が題となっているので、「花」は「桜」になります。だからこそ桜の名所である「吉野」が選ばれているのです。ということで、少なくとも貞徳の時代になると、「花より団子」の「花」が「桜」として詠まれていることがわかりました。
ただし『犬子集』には他にも、
だんごよりましたる花かもちつゝじ(親重)
と、「つつじ」を詠み込んでいるものも含まれているので、この頃には「つつじ」と「桜」が混在していたことになりそうです。また『大団』(1688年~1703年)には、
とあり、詞書に「玄蕃方へつゝじ送とて」とあるので、明らかに「つつじ」を引きずっています。
さらに『興太郎』(1756年成立)でも、
とあって、ここでも「つつじ」が継承されていました。宝暦・明和頃までは、「花より団子」の「花」はまだ「桜」に限定されていなかったのです。
このことに関連して、もう一つ気になることが浮上しました。「花より団子」については「花」に流動性があっただけでなく、どうやら「団子」も「餅」と互換性があったようだからです。引用した句の中にも「餅つつじ」「つつじ餅」とありました。これは「もちつつじ」という「つつじ」の品種に「餅」が掛けられています。加えて『かさぬ草紙』(寛永頃)には、伊勢山田に前野とのという人が餅屋から餅を贈られたことを喜んで、
と詠んだ歌が採録されています。これによれば、「団子」より「餅」の方がふさわしいということになります。要するに「団子」と「餅」にも互換性があったのです。
以上、「花より団子」のルーツを探ると、諺として確立する前は俳諧用語であったこと、初期には「花」が「つつじ」であったこと、それに関連して「団子」が「餅」と互換性を有していたことがわかりました。常識の落とし穴、おわかりいただけましたか。