🗓 2025年09月13日

吉海 直人

『万葉集』の東歌に、

筑紫なるにほふ児ゆゑに陸奥の香取娘子の結ひしひもとく
(3427番)

があります。これは筑紫の美しい娘のために、陸奥の香取の娘が結んでくれた下紐を解くというものです。では「紐解く」とはどのような行為なのでしょうか。

小学館の『全文全訳古語辞典』を繙くと、

上代、愛し合う男女が逢った時、互いに下紐を解き、別れる時結び合って次に逢う時までの愛の印としたことから、男女が親しむ意を表した。また、一人でいる時に下紐が自然に解けるのは誰かに想われているからだと考えられた。

と解説されていました。どうやら「紐解く」とは「下紐を解く」ことだったようです。もちろん「下紐」というのは今の下着のことですから、これを解くというのは男女が肉体関係を持つことを暗示していることになります。

また『精選版日本国語大辞典』には、

「解く」が他動詞四段活用の場合。下紐を解いて衣服をぬぐ意から男女が共寝をする。特に女性が男性に肌身を許す。身をまかせる。下紐を許す。

とありました。言葉の初出例としては『伊勢物語』37段の、

我ならで下紐解くな朝顔の夕かげ待たぬ花にはありとも

歌が引かれています。これは相手の女性の浮気を心配しているようです。

冒頭に引用した歌は、作者には陸奥に香取娘子という恋人がいて、その彼女が愛の証しとして男の下紐を結んだのに、筑紫の女性と仲良くなって、下紐を解いて情交を持とうとしていることになります。下紐は結んであるから解くわけです。そのことは、

二人して結びし紐を一人して我れは解きみじ直に逢ふまでは
(2919番)

という歌からもわかります。下紐を結ぶことは男女の愛情表現であり貞操を守ることでもあったのです。

実は「紐解く」表現は、案外「七夕歌」に多いことがわかりました。この場合は彦星と織姫が一年に一度だけの逢瀬を持つわけですから、他の人との浮気は考えられません。まず彦星の側には、

ま日長く恋ふる心ゆ秋風に妹が音聞こゆ紐解き行かな
(2016番)

という歌があります。これは織姫が私の訪れを待ちわびているだろうから、下紐を解いて訪ねていこうというものです。普通は女性のもとに到着してから下紐を解くのですが、ここでは待ちきれなかったというか、気が早いですね。やや滑稽な展開になっています。

ところで下紐は男性ばかりではなく、女性も結んでいます。その場合は、

天の川相向き立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き設けな
(1518番)

とあるように、彦星が天の川を船で渡ろうとしているので、織姫は下紐を解いて待っていようというものです。これも彦星が来てからでいいのに、来る前から下紐を解いて待つというのは、かなり性急で肉感的な感じがします。それだけ待ちわびていたということでしょうか。なおこの歌には、

天の川川門に立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き待たむ
(2048番)

という類歌もありました。

もちろん七夕伝説を踏まえた男女の歌もたくさんあります。

高麗錦紐解き交はし天人の妻問ふ夕そ我も偲はむ
(2090番)

歌は、七夕の彦星と織姫のように私たちもそれに倣って逢瀬を持ちたいという歌です。これまでは男女が逢瀬を持つ歌ですが、七夕と違って現実には男が通ってこないケースもみられます。例えば、

秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月傾きぬ
(4311番)

は恋しい男が来てくれない歌です。女は下紐を解いて待っていたのに、恋しいあの人は来ないので、月が西の空に傾くまで待ち続けたという恨みが込められています。

時雨降る暁月夜紐解かず恋ふらむ君と居らましものを
(2306番)

これは男が来ないので下紐も解かず一人で寝ていることを前提として、あなたと一緒に過ごしたかったのにと訴えています。実はこの歌の前には、

旅にすら紐解くものを言繁み丸寝ぞ我がする長きこの夜を
(2305番)

という男の歌があります。男は旅に出ていても下紐を解くのに、私は家にいて下紐も解かず、独り寝をしていますというものです。どうやら噂になるのが恐くて、女性のところに行けないと言い訳しているようです。男は不実で、本当は別の女性のところに通っているのかもしれません。

以上のように『万葉集』の「紐解く」は、男女のなまなましい逢瀬を象徴している表現だったのですが、そこにロマンチックな七夕伝説が影を落としていること、それを踏まえて地上の男女の恋愛模様が歌われているものであることがおわかりになりましたか。