🗓 2024年08月12日

吉海直人

 同志社関係者がカタルパを語ると、どうしても新島襄と徳富蘇峰の師弟愛に言及されてしまいます。特に蘇峰の開いた大江義塾跡地にカタルパが植えられていることから、襄と蘇峰の師弟愛とか絆の象徴とされることが多いようです。しかしながらカタルパには、襄経由以外の伝来ルートもいくつかありました。この点が同志社関係者に欠けていた視点のように思えてなりません。

カタルパについて調べてみると、日本最古のカタルパは新宿御苑にあるものだとわかりました。これは明治7年に植えられたという確かな記録が残っています。記録だけではありません。その時に植えられた古木も残っています。ただ残念なことに、数十年前に落雷を受けて、幹の途中から折れてしまっています。そのため本来の高さは想像するしかありませんが、それでも幹回りが440㎝もあるので、今のところこれが日本最古であるばかりか、日本最大のカタルパと認定できそうです。このカタルパに襄との結びつきは認められません。襄とは無縁のカタルパがあることを認識していただければ幸いです。

もう一つ別のルートも見つかりました。これは襄とも親しい津田仙が、明治25年にカタルパの苗を一本五銭から十銭で通信販売していたという事実です。津田の発行していた農業雑誌によれば、「オハヨ梓」という名称で販売していたとあります。この「オハヨ」というのは、アメリカのオハイヨ州のことです。そういえば明治13年に襄にパンフレットと種子を送ったバーニー氏も、オハイヨ州在住の実業家でした。どうやらオハイヨ州はカタルパの産地だったようです。

この件には後日譚があります。というのも、蘇峰の弟である蘆花の『みみずのたはごと』の中に、次のような一文があったからです。

父は津田仙さんの農業三事や農業雑誌の読者で、出京の節は学農社からユーカリ、アカシヤ、カタルパ、神樹などの苗を仕入れて帰り、其他種々の水瓜、甘蔗など標本的に試作した。

なんと蘇峰の父(一敬)は、津田仙の学農社からカタルパの苗を仕入れていたことが書かれているではありませんか。少なくともここで仕入れて育てたカタルパは、襄とは接点を持たないことになります。さてこのカタルパはどこに植えられたのでしょうか。

この津田仙の例のように、襄とは無関係のルートでカタルパが少なからず日本に輸入されていたことが察せられます。例えば『明治林業逸史』にも、「(明治)三〇年代、 カタルパを米国より林業試験場に輸入した」(230頁)とありました。京都に限っても、京都大学農学部の農場や京都府立植物園にカタルパが植えられてることがわかっています。これは京都に限ったことではなく、全国の試験場や植物園・学校の農場にも取り入れられていたに違いありません。これだけで相当な数になるはずです。

従来、同志社との関りを強調するために、ついカタルパは日本では珍しい木だと説明されてきました。しかしカタルパは決して珍しい木ではありません。もともと杉や檜のように用材として植樹されていたのですから、たいした苦労もせずに苗木を入手することができました。襄でなくても、アメリカから種子を取り寄せることはできたのです。要はカタルパ伝播の調査を怠っていただけなのです。

もちろん同志社とかかわりのあるカタルパも少なくありません。徳富記念園(大江義塾跡地)を起点として、大井出川の石垣、菱形小学校や、久留米の高良大社参道口、御井小学校など、いろいろなところで同志社ゆかりのカタルパが毎年白い花を咲かせています。このうち菱形小学校のカタルパは、幹回りが353㎝で、高さは18mを超えており、新宿御苑に次ぐ大木といえます。また大井出川の石垣にあるカタルパは、これも幹回り230㎝、高さ10mの大木で、樹齢は120年と推測されています。しかもこの場所は熊本女学校(明治20年創立)の跡地とされており、竹崎順子女史が校長に就任した際に、記念樹として植えられたものかともいわれています。こうしてみると、やはり徳富記念園の周辺にカタルパが集中していることがわかりますね。

ただしそれ以外に、青森県の南部会館のものは、幹回り326㎝、高さ17mだし、広島県の上殿小学校のものは、幹回り322㎝。高さ9mとされています。また栃木県真岡市東大島公民館のものは高さ18mで、樹齢は100年とされています。豊橋市のものは幹回り275㎝、高さ19m、樹齢60年以上とされています。ここにあげたカタルパの巨木は、同志社とは無縁のようです。そういったカタルパも少なくない(調べればもっとたくさん見つかる)ことを是非知っていただきたいのです。

それに関連することとして、つい先日、福島県立会津高校の先生から、本校にあるカタルパの大木は同志社とかかわるものなのですか、という問い合わせが新島八重顕彰会にありました。これがどこかで同志社と関連していればいいのですが、まさか八重が植えたなどと軽はずみなことはいえません。同志社ルート以外にもカタルパは全国的に伝播していますとしか答えられないのです。

おそらく校友会によるカタルパの植樹記事がネットに流れているので、同志社から全国に伝播したと勘違いされ、その結果、新島八重顕彰会に問い合わせが来たのではないでしょうか。同志社とカタルパの神話はそれとして、日本中のカタルパが同志社と結びつくわけではないことも、事実として明らかにしておくべきでしょう。

 

昭和4年に徳富記念園のカタルパ前での徳富一家の記念写真
新宿御苑の幹が折れたカタルパ