🗓 2025年06月21日

吉海 直人

平安末期に成立した『今昔物語集』という大部な説話文学があること、知っていますよね。残念なことに作者も編者もわかっていません。漢文で筆録されているために、簡単には読めない作品でした。ところが文学史的に見ると、例えば『伊勢物語』や『大和物語』と同話が掲載されており、部分的な比較資料として重宝されています。
 また中世に成立した『宇治拾遺物語』と重なる話も多く、これも両作品の比較資料として有益です。『今昔物語集』の魅力はそれだけではありません。時代を越えて近代文学の創作にまで使われています。代表的な作家だけでも、武者小路実篤・堀辰雄・菊池寛・海音寺潮五郎・新田次郎・杉本苑子・田辺聖子・福永武彦などがあげられます。
 その代表者が芥川龍之介でした。もちろん芥川は、『道祖問答』・『地獄変』・『龍』などの作品は『宇治拾遺物語』を踏まえているし、『袈裟と盛遠』は『源平盛衰記』を典拠としています。しかしながら『青年と死』(大正3年)以降、『羅生門』・『鼻』・『芋粥』・『運』・『偸盗』・『往生絵巻』・『好色』・『藪の中』・『六の宮の姫宮』など多くの作品が、『今昔物語集』のリライトでした。いずれにしても古典を典拠とする手法が芥川の特徴だといえます。
 その中で一番有名な作品が『羅生門』でしょう。ただしそれは単純な読書の結果ではありませんでした。『羅生門』がこれだけ有名になったのは、実は教科書に採用されたからだったのです。初めて教科書に教材として掲載されたのは、昭和32年のことでした。その年、明治書院『高等学校総合2』・数研出版『日本現代文学選』・有朋堂『国文現代編』の三種に同時に採用されています。同時期に採用されたものとして、夏目漱石の『こころ』と森鷗外の『舞姫』があります。戦後の高校教育にふさわしいものとして、この三作品が教科書という媒体を通して流通していったのです(近代文学の御三家)。
 その後、多くの教科書に採用されたわけですが、中でも注目すべきは、平成15年の『国語総合』において、全教科書会社の教科書に『羅生門』が掲載されるという快挙が生じました。それ以降、日本の高校で学んだほぼすべての人は、『羅生門』を学習していることになります。これに勝る作品はほかにありません。
 ところで古典文学が専門の私が、『羅生門』についていえることといえば、やはり古典の知識に基づくものになります。第一に『今昔物語』と『今昔物語集』の違いはわかりますか。実は私が高校生の時、文学史の本には『今昔物語』として出ていました。それがいつのまにか集が加えられたのです。というのもこの作品は一つの物語ではなく、「今は昔」で始まる独立した説話が集められているからです。内容にマッチするように物語から集に変更されたのです。ですから年齢の高い人ほど『今昔物語』と称するわけです。
 次に『羅生門』という書名ですが、ご存じのようにそんな名前の門は歴史上存在しません。肝心の『今昔物語集』には「羅城門」とありますから、「羅生門」は芥川の造語ということになります。では「羅城門」はどんな門かというと、平安京の朱雀大路の南端にある正式な門の名称です。「羅城」というのは城壁のことですが、平和な平安京は周囲を城壁で囲んではいなかったので、これは中国の都を模倣して築いたことによるのでしょう。
 もう一つ、古典と現代の知識で意味が変容するものがあります。それはきりぎりすです。『羅生門』にはきりぎりすが二度登場しています。
 大きな円柱まるばしらに、蟋蟀きりぎりすが一匹とまっている。
 丹塗にぬりの柱にとまっていた蟋蟀きりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。
 ここでは「蟋蟀」を「きりぎりす」と読ませていますが、普通に「こおろぎ」と読むこともできます。「きりぎりす」と「こおろぎ」について、古典では現在の意味と古典では入れ替わっているといわれています。では『羅生門』ではどうでしょうか。「きりぎりす」か「こおろぎ」かを見分ける決め手は、鳴き声だけではありません。きりぎりすは夏の虫でこおろぎは秋の虫だということ、もう一つ、きりぎりすは昼間に鳴いてこおろぎは夜になくことです。
 では『羅生門』はどうかというと、どうやら季節は秋でしかも時間帯は暮れ方以降ですね。そうなると現在の「きりぎりす」よりも古典の「きりぎりす」の方がふさわしいことになりそうです。要するに「こおろぎ」の古名としての「きりぎりす」になります。これは芥川に限らないので、「きりぎりす」が登場する近代文学は見直してみる必要がありそうです。古典の知識も近代文学に多少は役に立ちそうですね。