🗓 2025年07月05日

吉海 直人

NHK朝ドラであんぱんが話題になっていますね。そこでいきなり質問です。日本にパンが入ってきたのはいつごろだかおわかりですか。そもそもパンは何語でしょうか。英語は「ブレッド」なので、英語ではなさそうですね。それならフランス語かと思いましたが、室町時代に日本に伝来したとなると、ポルトガル語以外には考えられません。
 では室町時代に伝来したのに、何故江戸時代にパンは流通しなかったのでしょうか。その答えは簡単です。食感が悪かったから、つまりおいしくなかったからです。当時のパンはかたくて水気が少なかったので、日本人の嗜好に合わなかったのです。そのパンが江戸時代末期に江川英龍によって焼かれました。そのため江川は日本のパン祖と呼ばれています。明治維新になって、再びパンが日本にもたらされましたが、事情はたいして変わらなかったようです。まだ発酵用のイースト菌が使われていなかったので、柔らかく焼き上げることができなかったからです。
 なんとか日本人の口に合うパンを作ろうと努力したのが、明治2年創業の木村屋安兵衛・英三郎親子でした。もっとやわからく焼き上げるためにいろいろ工夫しました。しかしなかなか売れませんでした。そこで日本で食べられていた酒饅頭を模して酒種酵母を用い、中にあんこを入れたパンを発明しました。それは明治7年のことです。これがあんぱんの起源でした(朝ドラでは「美村屋」になっていますね)。だからあんぱんは日本が発祥の地ということになります。そのことは「餡パンの本家銀座のヘソにあり」という川柳にも詠まれています。
 そもそもあんぱんという言葉自体、日本語とポルトガル語を融合させた奇妙な造語だったのです。 このあんぱんにヒントを得て、パンの中にいろいろなものが入れられました。ジャムパンは木村屋が明治33年に売り出しました。これは安兵衛の二男儀四郎が、あんこの代わりにジャムを入れてもおいしいのではと思いついたことによります。もう一つ、クリームパンは中村屋が明治37年に製造販売しています。これはシュークリームから思いついたのだそうです。その他、うぐいすパンやチョコレートパンなど、そのパリエーションもたくさん創作されています。
 これらは食パンとは区別され、俗に「菓子パン」という名称で親しまれていますよね。あんぱん・ジャムパン・クリームパンの三種が日本三大菓子パンといわれています。当然、菓子パンの類は外国には見当たりません。甘いものは別にケーキとして製造されているからです。あるいは今川焼をヒントにして製造されたのかもしれません。そういえば今川焼もあんこ以外に、カスタードクリーム・チョコレートクリームなどがありますね(惣菜入りのものもあります)。
 さて「あんぱんの日」ですが、4月4日に制定されています。というのも明治8年4月4日、東京向島の水戸藩下屋敷に花見のために行幸された明治天皇皇后両陛下に、木村屋が桜あんぱんを献上したことによります。これは侍従・山岡鉄舟の提案だとされています。明治天皇はたいそう喜ばれ、木村屋のあんぱんは宮内庁御用達になりました。天皇からお墨付きをいただいたわけです。それを記念して、4月4日があんぱんの日になったというわけです。この逸話は後に「「あんぱんの日」―木村安兵衛・ 英三郎」として、道徳の教科書にも掲載されています。
 それとは別に、平成30年の道徳の教科書に掲載されている「にちようびのさんぽみち」に「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度を組み込むように」という意見がつけられました。それを受けた東京書籍は、「パン屋」を「和菓子屋」と修正したことを知った全国の「パン屋」さんから抗議の電話が殺到したそうです。それは「パン屋」が日本文化として認識されていないことへの憤懣でした。
 最後にもう一つの逸話を紹介します。それは白米と違って、ビタミンB1を豊富に含むあんぱんが、当時流行していた脚気の予防に効果があるとされたことです。これもあんぱんが売れた要因の一つにあげられています。こういった複合的な要素がうまく融合して、あんぱんは瞬く間に全国に広がり、文明開化の象徴とまでいわれるようになったのです。