🗓 2025年01月25日

吉海 直人

新年おめでとうございます。早速ですが、みなさんに質問です。一月のことを「正月」ともいいますね。では一月と正月にはどんな違いがあるのでしょうか。単なる別称であって意味に違いはないと思っている人もいるかと思いますが、実は重なる部分と重ならない部分があるのです。
 一月は一年の最初のひと月ですよね。それに対して正月は新年に年神様をお迎えしてお祝いするための行事を行う期間です。普通一日から三日までが三が日、七日まで(関西は十五日まで)が松の内となっています。こういった元日からの期間を「大正月」とも称しています。それに対して十五日を「小正月」といって、正月の行事を締めくくる日にしています。中には二十日に「小正月」を行っているところもありますが、要するに「小正月」までが正月であって、それが過ぎたらもはや正月とはいわないのです。つまり正月は、前半は一月と重なっていますが、期間は一か月より短かったのです。もっといえば、一月は暦上の表記ですが、正月は信仰を含む行事上の表記ということです。
 次に正月ならではの特別な表記について考えてみましょう。みなさんは年賀状に「元日」とか「元旦」と書いていますよね、では「元日」と「元旦」では意味がどう違うのでしょうか。年賀状を書く時に迷ったことはありませんか。実はこれも正月の用法に似ています。問題は「日」と「旦」という漢字の違いです。となると「日」は「いちにち」のことでいいとして、問題は「旦」の方にあることになります。この「旦」という漢字は、お分かりのように水平線から太陽が出ているという象形文字です。読みとしては「あした・あさ・あけがた」になります。ということは日の出の時刻、つまり朝を含む午前中に限定されます。要するに「旦」は「日」より短い時間を指す表現だったのです。
 ところでみなさんは年賀状に「一月元旦」とか「正月元日」などと書いて間違いだと指摘された経験はありませんか。もともと「元日」も「元旦」も一月一日に限定される言葉なので、両方書いたら重複というか蛇足になりかねません。どちらか一つで十分なのです。それよりも「元日」とか「元旦」は一月一日に限定された用語なので、一日以外には使いません。正月ならいつでもいいというわけにはいかないのです。ですから一日の午前中に着くのなら元旦、午後になるのなら元日がいいし、一日に着かないことがわかっているのであれば、つまり三日以降に届くのであれば、年賀状に「元日」や「元旦」とは書かない方がいいといわれています。
 ではあらためて次の質問です。「一月一日」と書いてなんと読みますか。一番多いのは「いちがつついたち」ですよね。でもよく考えると、音読みと訓読みがごっちゃになっていませんか。ですから古典の読みとしては「むつきついたち」になります。これならすっきりします。また明治二十六年に発表された小学唱歌、みなさんも歌ったことのある、

年の始めのためしとて終りなき世のめでたさを松竹たてて門ごとに祝う今日こそ楽しけれ

は、千家尊福(せんげたかとみ)作詞・上真行(うえさねみち)作曲ですが、その曲名がまさに「一月一日」でした。これは漢文調に「いちがついちじつ」とか「いちげついちじつ」と読んでいます。あまり一般的な読み方ではないように思えますが、辞書にはちゃんと掲載されていますよ。

ついでに「ついたち」の意味はお分かりでしょうか。かつて日本が旧暦を使用していた頃は、月の満ち欠けが暦の基準でした。ですから「ついたち」というのは月が立つ、つまり新しい月が始まるということで、月の初日を意味していました。もともとは「望」(満月)の反対語で、新月(月が見えない)のことです。ただし新月は「ついたち」だけでなく「つごもり(晦)」も含みます。わかりやすくいうと、「つごもり」は月が籠って隠れるということで、「ついたち」は月がわずかに見え始めるということです。それが連動しているのです。なお「一日」にはもう一つの意味もあります。古典でこれを「ひとひ」と読むと、特定の日付ではなく、ある日あるいは終日(一日中)という意味になるので注意してくださいね。
 最後に祝日についてお話します。昭和二十三年に「国民の祝日に関する法律」が定められました。その時の祝日は年間でわずか九日しかありませんでしたが、現在は十六日にまで増加しています。その最初の祝日が元日というわけです。その起源は古く、元日に諸臣が大極殿に参上して天皇に新年の慶びを奏上するという重要な宮廷儀式でした。記録では孝徳天皇の大化二年(六四六年)から始まったとされています。当時は国民の行事ではなく宮廷行事だったのですが、それが大衆化して今日に至ったというわけです。
 一月一日にまつわる雑学、お役に立ちましたか。