🗓 2020年08月22日

新島襄は、八重を「三島警視総監(福島県令三島通庸)」と呼んで恐れた。こと細やかに八重に行動を監視されていたからである。何故なら襄は無類の手紙好きで、教え子や知人に中には2mにも及ぶほどの手紙を書いていた。医者より長文の手紙を書くと体力を消耗するからよくないことだと聞かされた八重は、襄が手紙を書くことに異常ともいえるほどに監視していたのである。そのため、襄は不要不急の用事を八重に頼み、外出中に手紙を書いていたエピソードが残る。
 最近落語をUチューブで聞いている。その中で記憶に残るのは有名な「芝浜」である。何人もの落語家が演目として使っているが中でも古今亭志ん朝(3代目)が好きだ。私が子供の時はテレビへの露出度も高かったがあまり落語がうまいとは思っていなかった。5代目古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう)の次男であるが親の七光りでテレビに露出度が高いのだろうくらいにしか思っていなかった。ところがそれから早40年経ってかれの落語を聞いたら、歯切れの良さや幕あいなど名人の域に達していたので感動し、Uチューブにある彼の落語をすべて聞いた。ここ一週間日中落語漬けであった。
 「芝浜」はご存じの通り、飲んだくれの亭主が酒ばかり飲んで働かない魚屋の話である。そんな亭主を朝早くたたき起こし、女房は仕事に送り出したが、時間が早すぎて問屋(市場)が開いてなく、芝浜でタバコを吸って時間をつぶしていた。そこで偶然にも財布を拾った。家に帰って女房と中身を数えたら大金が入っていた。そこで近所の人を呼んでどんちゃん騒ぎをして寝てしまった。起きてからの飲み代の支払いはどうするのと女房に詰め寄られる。拾った財布があるではないかと女房に反論するが「あれは夢だった。」と告げられた。そこで飲み代の支払いもあり断酒して仕事に精を出し本業の魚屋の仕事を一生懸命励み、店舗を構え従業員を雇えるまでになった。改心し本業に精を出し、表通りに店舗を持つまでになった亭主に妻は「夢ではなく現実であった。」ことを告白する。その場面は誠に感動する場面である。賢明な妻の功績は大きい。

昨日の事である。夕方、前にも書いた隣の家の百日紅さるすべりを見ながら飲む楽しみがあるので、500mlの缶ビールを抱え込んで台所に行き(妻に)つまみを所望した。妻の対応は「そんなに酒ばかり飲んでいると置いていくからね。」であった。何のことか?「病気になって死んでこの世に、あなたを置いていくのは俺のほうだろ。」と反論しているときに気が付いた。妻は私の死亡のことは考えていない。脳梗塞をおこし半身不随になって収入が途絶えることを心配している。実は昨年の10月に高血圧・高血糖で20日間入院した。それでタバコ酒は乾杯酒以外好ましくないと医者に言われている。入院したときにヘモグロビンA1cは9.4であった。半年で6.6まで下がったのだが、今月の検診で6.9と悪化している。脳梗塞をおこして私が動けなくなり看病するのは嫌だ。妻の本心は不仲の姑と私を私の生家に置いて、横浜のマンションに行くという意味だ。ということに気が付いた。 
 新横浜にマンションがあり次男が住んでいるところに行くという意味だったのかと気が付いた。私がそういう状態になれば仲の悪い姑と二人で生活はできないという意味だ。しかも、私が入院や施設入所した場合の看護は嫌だという意味だ。
 昼間聞いた志ん朝の落語と実際の私の女房との落差は華厳の滝の高低差にも匹敵すると大変がっかりした次第であった。

(文責:岩澤信千代)