🗓 2023年08月06日

櫻井よしこ講演会を6月10日に開催した。その時に櫻井よしこさんの大ファンだからプレゼントを渡したいというので、現物を見に行った。美人画が見事な額縁に収められていた。表具屋だった義父が手作りしたもので額は頑丈で立派なものであった。

講演会が終わり、その額を発送する段になり、一応知り合いの表具屋に見てもらおうと考えついた。行ってみて額の裏を開けて見て驚いた。表具屋は大笑いである。同じような美人画の印刷物が10枚も出てきたのである。その都度絵柄を取り替えて鑑賞できるようにした優れものであることは間違いない。ご丁寧に作者名、所蔵場所まで印刷されていた。

櫻井先生にまがい物を進呈するのは心苦しい。櫻井事務所に訳を話し、寄贈者に返還することにした。

2か月も過ぎ、すっかり忘れていたところ、2.3日前寄贈者のAさんから電話があった。「先日は失礼した。地元の有名な版画家斎藤清の弟子長谷川雄一が知り合いなのでその版画を手に入れた。是非とも櫻井先生に進呈したい。」

Aさんの意を汲んで早速櫻井よしこ事務所に連絡を取り、了解を取った。Aさんは今日当たり発送するだろう。

実はAさんは会津の歴史上高名な武士の子孫である。

摺上原の戦い(すりあげはらのたたかい)は、戦国時代1589年7月17日天正17年旧暦6月5日)に、磐梯山裾野の摺上原(福島県磐梯町猪苗代町)で行われた出羽米沢の伊達政宗軍と会津の蘆名義広軍との合戦。(ウイキぺデア)

上記戦いで葦名の歴代家老はまとも戦闘しなかった。これには佐竹から養子になった佐竹義弘が常陸から連れてきた家老の専横が激しく、会津の歴代の家老が激しく反発しており葦名義弘の為に命を懸けようなどと思わなかったからである。その中で最後まで勇敢に戦った津川城主がいた。その名は金上盛備(かなかみもりはる)である。Aさんの旧姓は金上なのである。いわゆる貴種なのである。葦名時代の英雄の子孫が命脈を保っていたのである。

長谷川雄一画伯はAさんの知り合いで、世界的にも高名な人でネットで見るとその作品価格は高い。画伯自身が梱包したものが櫻井先生のもとに届く。

加えて私が見てもらった懇意の表具屋さんは、東京に表具の技術修行に行くときにAさんの義父に修行先を紹介してもらったの事。

現実の展開は予測もつかないことが起こる。

(文責:岩澤信千代)