🗓 2023年08月31日

ここ会津では保科正之を大河ドラマの主人公になどと騒いでる人は少ない。一方長野の高遠では一縷の望みで誘致に期待している人が多いという。署名運動も続けている。
最近、守谷宜暉著「名宰相保科正之」を読んだ。内村鑑三の「代表的日本人」には西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人であり保科正之は除外されている、から文章が進んでいく。
いうまでもなく、「どうする家康」の中には三方ヶ原の戦い、小牧・長久手の戦いなどの戦闘場面が多く出てくる。対して保科正之には戦いによりその地位を勝ち取ったものではない。2代将軍徳川秀忠の子、3代将軍家光の弟、家康の孫という血統で中大名になり会津23万石(他に預かり地5万石)を領した。殉死の禁止・玉川上水の掘削、末期養子の解禁など善政の中心となり、徳川幕府が武断政治から文治主義に移行する基礎をつくった。
が、いかんせん。ドンパチの戦いがないからドラマにするには脚本家が苦労する。見せ場をつくれないからだ。
従って、私の見解は保科正之は大河ドラマの主人公にはならないだろうとするしかない。天下の3家老と言われた田中三郎兵衛正玄や家訓15か条」に関与した友松勘十郎なども出る幕がないのは残念である。
上記本の最終部分
「このような逆賊という扱いから、明治新政府によって記述された様々な歴史資料から、会津藩の名声は消え、藩祖である保科正之の功績までも、すべて抹消されることになったのである。当然のことであるが、名宰相保科正之は、その評価以前に、その存在自体が否定されたのである。・・・・・・中略保科正之が、その業績に比して著しく低く評価されている理由が、明治新政府の本質の中にあったとみることもできるのである。」
「その存在自体が否定されたのである。」・・・・の意味は大きい。
                   (文責:岩澤信千代)