🗓 2026年01月17日
吉海直人
百人一首の歌には商品価値があるので、しばしば第二次利用されています。中でも在原行平の「立ち別れ因幡の山の峰におふるまつとし聞かば今帰り来む」(17)歌など、江戸時代後期頃には失せ猫が戻る呪い歌として再活用されてきました。そのやり方は実に様々だったようです。
たとえば大木卓氏著『猫の民俗学』中の「失せ猫が戻る呪」には、いくつかの事例が紹介されています。久保田正文氏の『百人一首の世界』にも、行平の歌を三度唱えると猫が無事に戻ってくるという言い伝えがあったと書かれています。さらに内田百閒の『ノラや』には、迷い猫の新聞広告として行平の歌がぐるりと広告を囲むように書かれていました。
一般には行平の歌を短冊に書いて、猫の食器の上に置いておくとか、半紙に書いて折りたたみ、伏せた猫の食器の中に入れておくというやり方が多かったようです。また歌を書いた紙を東側の壁に貼るとか、人目に付かないように玄関の柱の下の方に貼りつけるとか、トイレに貼っておくというのまでありました。貼り方もいろいろあるようですが、逆さまにして貼るというのが効果的だとされているものまでありました。
歌の書き方もまちまちで、上の句だけを書くのと、歌一首を書くというやり方があるようです。それとは別に、わざわざ全部平仮名で書くというのもありました。近年のことですが、NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」の中で、奥さんの布美枝さんが着物を質草にする際、「立ち別れ」の歌を書いた紙を着物の中に忍ばせ、質流れせずに戻ってくるようにと祈っていました。それを見た夫の水木しげるは、それは猫が戻ってくる呪いだと駄目出しするシーンがありました。覚えていますか。本来は失せ猫に限ったことではなく、犬でも小鳥でも落し物でも何でも良かったようです。もともと下の句に「まつとし聞かば今帰り来む」とあることから、この歌に戻ってくる効果が期待されたのでしょう。
当初は行平の歌だけが再活用されていたようです。それがいつの間にか定家の「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ」(97)歌も仲間入りしました。例えば群馬県高崎市佐野には定家神社があります。定家は一度も現地を訪れたことはないはずですが、定家の歌に「駒とめて袖打ち払うかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮」という歌があり、その「佐野」という地名の一致から後世に誘致されたのでしょう。
その定家神社では、失せ物が戻るまじないとして、「来ぬ人を」歌を書いて木戸に貼り付けておくと、失せ物が見つかるという言い伝えがあるそうです。これがさらに発展して、恋人と出逢えるという縁結びの効力にまで高められています。本来の意味は恋人が来ないことを嘆く歌だったはずなのですが。なお失せ物が戻る呪い歌としてもう一首、京都清水寺の音羽の滝をモチーフにした、
清水の音羽の滝に願かけて失せたる○○の無きにもあらず
も有名です。「○○」(空白)の中に無くした物の名称を入れて唱えると、失せ物が出てくるそうです。みなさんも騙されたと思って一度試してみてください。
幸いなことに、定家の歌には証拠資料が存在します。「百人一首之内」という浮世絵がそれです。これは天保九年(1838年)頃にゑびす屋から刊行された歌川国芳作のシリーズ物の一枚です。現存しているのは60種類くらいで、残念ながら100枚全て出版されているのかどうかはわかっていません。
この「百人一首之内」は、原則として書かれている絵は百人一首の歌に関わりのある図柄になっています。しかし中には判じ物のようになっているものもあります。定家の絵はその好例でした。よく見ると、猫を抱きしめている人物と、その前で鰹節を小刀で削っている童の絵が描かれています。鰹節はもちろん猫の好物ですよね。さあ皆さんはこの絵をどう読み解きますか。
もうお分かりですね。要するにこの絵は定家の歌の効力によって、失せ猫が戻ってきた喜びのあまり、猫にご馳走の削り節を与えようとしている図柄ということになります。まさに定家の歌が「失せ猫が戻るまじない」に用いられていたその証拠資料となります。かくしてこの浮世絵は、百人一首以上に民俗学的に価値のある資料になりました。ついでながら浮世絵師の国芳は、「猫の国芳」と称せられているほどの猫好きとして知られています。あるいは国芳が呪い歌を行平から定家にすり替えた張本人なのかもしれません。
