🗓 2026年02月28日
吉海直人
いきなり質問です。梅は昔から日本にあったと思っていませんか。しかし実は梅は、国産ではなく外来種でした。その証拠に『古事記』や『日本書紀』に梅は登場していません。漢詩集『懐風藻』にはじめて葛野王と紀朝臣麻呂の漢詩に出ていることから、中国から伝来したことが察せられます。八世紀には中国との交易の中で、薬用の「烏梅(うばい)」(梅の実の燻製)が輸入されようです。その際、梅の種や苗も輸入され、日本で栽培されたのでしょう。ですから『万葉集』でもやっと第三期に至って、大宰府の梅が詠まれています(「令和」の出典で有名になりました)。だから人麻呂には梅の歌がありません。
ところでみなさん、「うめ」は訓読みで「ばい」は音読みと思っていませんか。実は両方とも梅の中国語読みから変化したものです。呉音が「メ・マイ」で漢音が「バイ」です。「うめ」は古語では「むめ」ですから、「メ・マイ」から転訛したのでしょう。そのため「うめ」も音読み(呉音)とする説もあります。要するに日本語に「梅」に当たるものが存在しなかったのです(「馬」や「菊」も同様です)。
いずれにしても舶来ということで、当時はとても高価かつ有用な植物でした。必然的に都の中に植えて管理されていたようです。山桜が野生であるのに対して、梅は人間の手によって大切に栽培されたのです。そのため『万葉集』において、梅は桜の三倍(119首)も歌に詠まれています。
その梅は薬用のみならず、あと二つの付加価値がありました。一つは春になると他の植物よりも早く花を咲かせることです。そのため「百花の魁(さきがけ)」とも称されました。ついでに鶯と抱き合わせにされ、春の訪れを告げる花として尊ばれました(「花の兄)ともいいます)。例えば『古今集』では、
春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く(6番素性法師)
と歌われています。ただしこの歌ではまだ梅は咲いていません。ここでは一刻も早い春の訪れを願って、梅の枝に降り積もった白雪を、梅の開花に見立てて詠んでいるのです。これが紅梅だったらそうはいきません。この見立ては、当時の梅が白梅だったからこその技法といえます。
もう一つは馥郁とした香りを放つことです。ただし『万葉集』では何故か香りに触れた歌がほとんどありません。わずかに、
梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしのに君をしぞ思ふ(4525番)
あをによし奈良の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり(328番)
などがあげられるくらいです(「かぐはし」は橘にも用いられています)。『古今集』に至って、ようやく梅の香が美的に評価されたといえます。
桜にはそんな匂いはありませんから、「色の桜」・「香りの梅」という対比になります。そのことは、
色よりも香こそあはれと思ほゆれたが袖触れし宿の梅ぞも(古今集33番)
という歌からも察せられます。もっとも平安時代に紅梅が入ってくると、それこそ、
君ならで誰にか見せん梅の花色をも香をも知る人ぞ知る(同38番紀友則)
のように、色も香もある花として歌われるようになります。この「香り」というのは、嗅覚(鼻)で感じるものですよね。ですから梅の場合は視覚が通用しない夜でも、
春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる(古今集41番)
と闇夜の梅が詠まれます。というより、視覚が利かないからこそ嗅覚の機能が発揮されるわけです。
また「匂い」という語は、古語では視覚にも嗅覚にも用いられていました(香りの用例は意外に少ないようです)。たとえば百人一首で有名な伊勢大輔の歌では、
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな(詞花集29番)
と、桜の視覚美が歌われています。本居宣長も、
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花
と歌っていましたね。これも朝日に照り輝くような視覚美です。それに対して紀貫之の、
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける(古今集42番)
は、梅の花の匂いが歌われています。もっとも、貫之の歌には「花」とだけあって、一見すると何の花かわかりません。みなさんは平安時代に「花」といったら「桜」を指すと教わっていませんか。それも間違いではないのですが、ここでは「香に匂ふ」とあることに注目して下さい。桜は「匂ふ」であって、「香に匂ふ」とは言いません。要するに視覚の場合は単に「匂ふ」で、嗅覚の場合は「香に匂ふ」と使い分けられているのです。ですからここは、桜ではなく梅ということになります。
