🗓 2026年02月27日
来年のNHK大河ドラマの主人公は小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)だ。江戸幕府が横須賀造船所を作った。小栗の優秀さを心配した西軍は、群馬県権田村で処刑された。
死の直前に母のくに子、妻の道子、養女の鉞子を家臣および村民からなる従者と共に、かねてから面識があった会津藩の横山常守を頼り、会津に向かって脱出させた。道子は身重の体であり、善光寺参りに身を扮し、急峻な山道である悪路越えの逃避行であった]。その後、一行は小栗忠高がかつて懇意にしていた新潟の紙問屋・藤井忠太郎(市島謙吉の親戚)を頼ったのち、閏4月29日には会津に到着し、松平容保の計らいにより道子らは会津藩の野戦病院に収容され、6月10日に道子は女児を出産、国子と命名された。
一行は翌明治2年(1869年)春まで会津に留まり、東京へと戻った。帰るべき場所がない小栗の家族の世話をしたのは、かつての小栗家の奉公人であり、小栗に恩義を感じている三野村利左衛門であった。三野村は日本橋浜町の別邸に小栗の家族を匿い、明治10年(1877年)に没するまで終生、小栗の家族の面倒を見続けた。その間、小栗家は忠順の遺児・国子が成人するまで、駒井朝温の三男で忠道の弟である忠祥が継いだ。三野村利左衛門の没後も、三野村家が母子の面倒を見ていたが、明治18年(1885年)に道子が没すると、国子は親族である大隈重信に引き取られた。大隈の勧めにより矢野龍渓の弟・貞雄を婿に迎え、小栗家を再興した。(ウイキぺデイア)
小栗上野之介の妻は会津に逃れ、一人娘国子を産んだ。そして国子は大隈重信に育てられた。
ついでに朝ドラのラフカデイオ・ハーンについて述べよう。さすがに小泉八雲と会津には縁がない。だが少しつながる。
小泉八雲は島根県松江から旧制熊本5高の教師となった。そこで旧会津藩士秋月悌二郎と一緒で秋月のことを「神のような人」と言った。実は夏目漱石も熊本5高の英語教師だった。皆さん夏目漱石の「坊ちゃん」をご存じか?そこに印象に残る会津訛りの教師「山嵐」が登場する。
自然に恵まれ、歴史に育まれた会津の伝統がそこら中に生きているのだよ。全国の皆さん、会津に来て子育てをてください。
(文責:岩澤信千代)
