🗓 2021年12月25日
白虎隊記念館に立ち寄ったら早川広行館長から展示していない資料を見せて頂いた。
その消息には何と白虎隊士生き残りの飯沼貞吉の歌が書かれてあった。
祝 節子姫
「よろこびを かはすことばに どよむらん いいもり山の 苔のしたにも」
「どよむ」の意味を吉海先生に聞いた。「とよむ」は「鳴り響く」という意味だそうである。昭和3年は戊辰から60年還暦の年にあたるが、松平容保の孫勢津子が皇室に輿入れすることになった。
長い間朝廷に逆らった賊軍扱いにされ、会津藩士並びに旧会津藩領民は苦渋の中で悪戦苦闘していた。勢津子妃殿下が父祖の地に結婚を報告するため来若した時、会津では当時の人口3万人のほとんどが感極まって提灯行列に群がった。
新島八重の和歌も遺る。
ご慶事をききて
「いくとせか 峰にかかれる むら雲の 晴れてうれしき 光をぞ見る」
歌としては八重の方が上手と私は思うのだが、同じく敵に立ち向かった飯沼貞吉の歌も何故か心に染みる。
「会津藩中の人々が大喜びをしている。その喜びの声が地下に眠る白虎隊士中2番隊の仲間たちにも鳴り響いているだろう。」の意でよいのだろうか。飯沼貞吉は自刃した白虎隊の一員だったが天の配剤か蘇生した。その後、刻苦勉励して電信技師となった。自刃した彼らにも賊軍の汚名返上の慶事を見せてあげたかったし、見せることはできなくとも地下の仲間たちもきっと喜んでいるという確信が垣間見える。
(文責:岩澤信千代)