🗓 2024年02月14日

 私の事務所にある民具調テーブルを見て北原釆女家15代目がえらく気に入り、譲ることにした。女房が場所をとりすぎると運び込んだ時から毛嫌いしていたものだ。無くなれば女房も喜ぶかもしれないと思った。

 ところが狭い事務所であるから運び出す道筋を作らなければならない。整理整頓をする羽目になった。やり始めたら朝方の2時になっていた。整理はするもんで中元かお歳暮にもらったスターバックスのコーヒー豆の詰め合わせが出てきた。賞味期限は2021年となっていたが真空パックであり、飲めないものではない。尚且つ妻の実家の贈答品であった。掃除を手伝ってくれた妻は戦利品が出てきたと大喜びである。私が手伝ったから宝物を見つけたと自慢する。

 整理しているときに過去のメモ帳が出てきた。2.3紹介してみる。時間が経つと納得するものもあった。2.3紹介してみよう。

①馬上少年過ぐ

 世平らかにして白髪多し
若い頃聊か天下に志を持ち戦いにあけくれたが
残躯体天の赦免(ゆる)すところ
しかし世の中が平和になり身は老いてしまった。

 楽しまざること これ如何せん
すべては最早昔の事。今はその老雄が桃李の下で酒
を飲み春風をめでている。

 四〇年前少壮の時

辞世の句

 功名聊か(いささか)自ら私に期す(みずからひそかにきす)
咲きしより今日散る花の名残まで
 老来識(し)らず干戈の事
千々に心のくだけぬるかな
 只把(と)る春風桃李の盃(さかずき)

(福島民報 掲載)

②奥野名誉顧問棚倉名誉町民

 二本松藩士を先祖に持つ奥野善彦顧問は大の会津大好きファンである。顕彰祭でも講演していただいた。顕彰会設立時より  

名誉顧問としてご支援頂いている。

 

 

 

 

(福島民報 2017.6.15 掲載)

③大龍寺に新島八重歌碑を建碑

 「八重の桜」の放映が終了し、全国に東北の復興を印象付けた新島八重の生家山本家の菩提寺である大龍寺の寺庭夫人の宮子さんから相談を受けた。神奈川県の徳富蘇峰法記念館に残る八重の和歌がふさわしいだろうと提案し。蘇峰記念館の塩崎館長にデータを送ってもらい拡大し、石碑に彫り込んだ。室井会津若松市長と一緒に除幕した。テレビでも放映された。

たらちねの御墓(みはか)のあとをとふことも 今日をかぎりとなくほととぎす   八重子 

八重は亡くなる1年前に大龍寺に「山本家の墓所 山本覚馬妹 京都新島八重」を建立した。ふるさと会津への最後の旅だった。御墓(大龍寺にある)とふるさと会津に最後の別れを告げた。八重さんの気持ちは切ない。

最後に女房が事務所の掃除を手伝ったのだがレイアウトが気にいって、滞空時間が長くなった。以前のテーブルは欅づくりで重厚なものだったが、今のテーブルは古道具屋で買ったものだが、先輩からもらったイスと組み合わせているのだが非常に満足している。おかげさまで隠れて食べていた菓子パンも見つかってしまい没収された糖尿病の数値が高いのでパン・かぼちゃイモ類・酒には監視が厳しい。

最後に一言。森喜朗も麻生太郎も早く伊達政宗の境地になれよ。

(文責:岩澤信千代)