🗓 2024年05月26日

新入幕史上最速で大の里が優勝を決めた。2024年は能登大震災から年が明けた。この優勝は石川県民に大きな勇気を与えるものとなった。ついこないだまでは石川県と言えば森前首相のキックバックであった。馳知事の迷走もあった。石川県には優勝回数14回を誇る輪島がいた。前回優勝した尊富士といい、若手力士の台頭が著しい。かつては日本の半導体が世界シェアー50%と独走状態であったが、今やGDPの世界順位は下がる一方である。

 国技の大相撲で若手が育っていることは、日本の地位低下が喧伝されている中ほっとするのは、私だけだろうか。

米国の軍医でイエメン駐在の外科医と最近フエイスブックで知り合いになった。イエメンの内戦を知っているかと聞かれたが答えようもない。

先週の金曜日に日弁連の会長の挨拶を聞いた。会津に帰って来てネットで調べたら1954年8月生まれで私と同級生だ。彼女は十分に社会に貢献している。カルロス・ゴーンも同級生だ。残された人生、どうやって生きた証の証明ができるか悶々とする日々が続く。

 

 最近同志社大学校友会北海道支部の草野会長にいろいろお世話になっているのだが、拙書「不一・・・新島八重の遺したもの」を書いた時に資料提供頂いた内藤光枝さんの甥にあたる方である。

 会津の郷土史家の宮崎十三八が著した「戊辰資料集」の中にあった日向ユキの「万年青」(おもと)がきっかけである。その中に日向一家は戊辰戦争時に御山の肝いり栗城伝吉の家に避難したとあった。そこで栗城さんの家を訪問し、日向ユキの孫晋さんの妻内藤光枝さんを紹介いただいたのである。それで貴重な資料を提供していただいた。それから10年経ち、草野会長から何かとご支援を頂いている。

 弁護士事務所開所100周年に私を招待してくれた奥野先生とのお付き合いは20年以上になる。奥野先生の従兄弟に紹介されて以来である。同じ福島県出身であることが良かった。それも先生の先祖は二本松藩の上級武士である。三春藩と違い二本松藩は会津藩と最後まで運命を共有した。そして先生は逆境の中で頑張った旧会津藩出身者を評価されている。先生の父親と近くの親戚の大叔父が旧制2高・東大法学部の同級生であることも判明した。

70年も生きていると別れというものが増えてくる。ということは私もこの世にあと幾何の生命が残されているのか。

 一応女房に対する言葉は考えているし女房にも告げてある。「美味しいものを食べさせてくれてありがとう。」料理・掃除・洗濯どれも嫌がらず黙々とこなしてくれた。それと女房に感謝したいのは2日以上妻は寝込んだことがない。いくら高熱でダウンしていても次の日は台所に立っていた。頑健な体に生んでくれた女房の両親には感謝しても仕切れない。

(文責:岩澤信千代)