🗓 2026年03月14日

吉海直人

冬の防寒着として、日本には「丹前」・「どてら」がありました。この「丹前」と「どてら」について、一般には同じものですが、地域によって呼び名が異なるとされています(同物異名)。具体的には、関西が「丹前」で関東が「どてら」だそうです。さらにもっと寒い関東以北では、「掻巻」のことを「丹前」と呼ぶそうです。要するに「丹前」には衣服だけでなく寝具の意味も含まれていることになります。

もちろん関西と関東で呼び方が違うものは少なくありません。本来は京都文化が先で、江戸文化が後でした。だから関西の呼び方が古くて、関東の呼び方が新しいものと考えられてきました。ところがこの「丹前」の由来を調べてみると、簡単に関西の呼び方とはいえないことがわかりました。

というのも、「丹前」は必ずしも古い言葉ではなかったからです。そもそも「丹前」という言葉からは、「丹波国」が想起されます。「丹波」があってその先が「丹後」、手前が「丹前」というわけです。しかしながら実際に「丹前国」など存在していません。関西の人ならそれくらいは承知しているはずです。

では「丹前」とは一体どこから生じた言葉なのでしょうか。これに関しては、吉原で有名な遊女だった勝山の衣裳に起因しているといわれています。勝山は江戸神田の風呂屋の湯女でしたが、その風呂屋は堀丹後守の下屋敷の前にあったことから、「丹前風呂」と呼ばれていたそうです。勝山ゆかりの丹前風呂では、湯女たちが勝山にあやかって、勝山のような衣服を着ていました。するとそこに通っていた旗本奴たちが、それを模倣して風流ぶったことから、いつしかその衣装を「丹前」と称するようになったとのことです。

この逸話からすれば、丹後守の下屋敷の前にあったから、「丹前風呂」と命名されたことになります。問題は関西の呼び方であるとされている「丹前」が、実は江戸神田で発祥した言葉だったということです。もしそうなら、それがどうして関東ではなく関西で定着したのかを説明する必要があります。

一方の「どてら」ですが、この起源もよくわかっていません。江戸時代の方言辞書『物類称呼』には、「襦袢、北国及び東奥の所々にて、ててらといふ」とあって、「襦袢」の異名(方言)として「ててら」と呼ばれていたとあります。ただこれだと、「どてら」は「襦袢」(下着)のことになるので、語源としては納得できません。

おそらくある時期まで、「丹前」と「どてら」は共に江戸で流通していたのではないでしょうか。それが関西に飛び火するのは、歌舞伎で旗本奴や侠客の派手な衣装が流行したからかもしれません。いずれにしても関東では「どてら」、関西では「丹前」ときれいに割り切れるわけではないことがわかりました。

もう一つ、「丹前」と「どてら」の同義語として「綿入れ」もあります。もともと防寒具ですから、袷に綿を詰めたものならすべて「綿入れ」になります。これは方言ではなく全国共通語です。「わたぎぬ・羽織・ねんねこ・半纏・ちゃんちゃんこ」なども、みな「綿入れ」の仲間といえます。

これに注目すると、「どてら」は綿を縫い付けていないもの、「丹前」は綿を数カ所糸で縫い付けているものという違いもありそうです。また「どてら」や「丹前」は「綿入れ長着」で、しかも袖広仕立てになっています。それに対して「半纏」は丈と袖の短いもの、「ちゃんちゃんこ」は袖のないものでした。「半纏」というのは、もともと「半丁」(袖が半分)と書かれていました。それを纏うことから「半纏」と表記されるようになったというわけです。

なお暖かくなると綿を入れる必要はなくなるので、衣更えの際に中の綿を抜きます。これがいわゆる「綿貫」です。ということで、旧暦4月1日のことを「わたぬき」と称しました。