🗓 2020年04月07日

NHKの大河ドラマは「八重の桜」という名前であった。私はその時、違和感を持ったことを告白しよう。新島八重と新島襄が好きだったのは「桜」ではなく「梅」だからである。特に襄は冬の寒さにじっと耐え、蕾を膨らませて初春に咲く梅を好んだ。だから邸宅に梅の木を植えた。良心をもった青年を育成するためには蕾を膨らませる学校が必要だと考えたのである。

襄が亡くなったのは明治23年2月23日の大磯の百足屋むかでや旅館であったが、それから間もない3月4日付の徳富蘇峰宛の八重の手紙が二宮の「徳冨蘇峰記念館」に遺る。

そこには「愛する襄が亡くなってから庭前の梅の花のにおいも全然しない。鶯の鳴く声も哀れに聞こえる」とある。亡愛夫襄を失った悲しみがひしひしと伝わってくる。襄の愛した梅に襄を投影しているのである。
 八重顕彰会のパンフレットと役員が持つ名刺とHPの表紙にはこれでもかと「梅」をあしらっている理由である。また風間久彦氏の証言がある「赤色の切符」にもこだわっている。パンフレットの赤とHPの赤色の理由も八重に近づこうとする意味が込められている。

NHKの「大河ドラマ」はいわゆる娯楽番組であり「教育番組」ではない。
 視聴者にわかりやすくするのも是である。視聴率も気にしなければならない。「八重の桜」は語呂合わせもよく「八重桜」を連想させるし、鶴ヶ城には「桜」が完璧にマッチするのでそれはそれで良しである。

女房運転の車で移動しているときに梅の花のきれいなところがあったので「梅の花がきれいだなあ」と言ったら「何言ってんの。自分のところにもあるでしょ。」ふと我に返った。自分の畑にも梅の木があったことを思い出し、丁度石碑の碑文を読む帰りだったこともあり、カメラを持っていたので回り道して撮影した。

(文責:岩澤信千代)