🗓 2021年03月15日
「不思議な縁」という題にしたのだが肝心なことを忘れたのに気が付いたので追記する。斗南会津会の山本源八会長との邂逅である。8年前の2012年年3月25日に東京上野精養軒で会津会創立百周年記念式典が行われた。当時役員をしておられた白虎隊記念館の早川広中館長に誘われ、妻方の甥松川修一も誘い式典に出席した。その時に山本会長と名刺交換をさせていただいたのが最初のご縁であった。数名の斗南会津会のメンバーとご出席されていた。その後、私は2018年5月に「戊辰150年記念誌 薫猶を選びて」を編集発行した。その時に山本会長に寄稿いただき「先人斗南の心を生き継ぐ」という名文をご寄稿いただいた。会津藩庁のあった圓通寺の「招魂碑」の写真が掲載され、碑文も紹介されていた。2020年の斗南移住150年式典は延期されたのだが、150年という節目の年に我が家にある「白虎隊殉難図」の複製を作り八重顕彰会を通じて斗南会津会に贈った。会津の先人の苦労に報いるにはどうしたら形に表すことができるか熟慮の末の判断である。
会津会100周年式典では最後に「会津磐梯山」を輪になって踊ることが恒例であり、旧藩主家の松平保久さんも一緒に踊られたのを思い出すが、当時の会津会会長川島 廣守さんとの電話のやりとりも思い出される。会津会100周年式典後の2012年4月5日に「不一・・・新島八重の遺したもの」を上梓した。曽祖父が新島八重と交流があったのでNHK大河ドラマ「八重の桜」放映に伴い、一冊の書にしたのである。今ではアマゾンンで古本価格が10000円も超えている貴重なものとなったのには驚いているのだが、残念ながら在庫がない。
発刊時に200冊程度は国会図書館や会津図書館・同志社大学などに贈り、会津会事務局にも一冊謹呈したのだが、会津会の川島廣守会長個人には送っていなかった。突然私のところへ川島会長本人から直接電話があった。「君の本が僕のところへ届いてないよ。」事務局から私の本について聞いたのだろう。慌ててお送りしたのだが、丁寧な自筆の礼状が届いたので大事に保管している。川島会長はその年の12月9日に逝去されたのだが、亡くなる前に私の本を会長に読んでいただけたことを幸甚と思っている。今でも川島会長の慈愛のこもった、しかし元警察官僚らしい威厳のある声が浮かんでくる。
(文責:岩澤信千代)