🗓 2022年03月22日

只見高校は残念ながら、初戦突破はならなかった。しかし、会津の高校では初めて得点した。歴史に残る快挙である。63年前出場の会津高校は尼崎高校に0━3で一回戦で敗退であった。従って得点したこと自体が会津地方の高校では歴史的快挙になる。

遅ればせながらネットで調べてみた。

私の母校である会津高校が選抜出場したのは1959年の31回大会である。とすると私が4歳の時である。いわば死ぬ前に会津の高校が甲子園出場した雄姿が見れたことになる。実を言うと試合開始のサイレンのあと、缶ビールが効いてうとうとしてしまった。気が付いたのは只見高校の校歌が終わらんとするところであった。だから、2点先取された後である。そこからは瞬きもせずに応援した。

点数差はあったが、只見高校ナインの物おじしないてきぱきとしたプレーに感動した。フライを獲りそこなった場面もあったが、ダブルプレーや牽制球でアウトにする場面もあった。打力を鍛えれば夏の甲子園にも出れるような気がしてきた。只見高校で野球をやりたい少年も増えるだろう。

選手がのびのびとコニコしてプレーする姿は只見川に映った月の姿に似て、清々しく感じた。

部員数100名以上の強豪校の勝つことが宿命づけられた痛々しい顔とは違う。

甲子園出場経験がある学法石川高校出身のはせがわ監督が最後のバッターに代打を指名した。それで部員13人全員が試合に出場したことになる。こういう監督の元で練習した選手はいずれ周りに多大な影響を与える人材に育っていくだろう。

 

(文責:岩澤信千代)