🗓 2024年03月07日

 政倫審に出るか出ないかで話題になっている下村博文のプロフイールを見ていたら同学年だった。昭和29年(1954年)5月生まれであった。私は早生まれの1955年1月だから同級生だ。彼は1979年早稲田教育学部卒である。私は1978年法学部卒である。ということは同時代早稲田キャンパスで同じ空気を吸っていたことになる。文科相の時に統一教会の団体名の変更を許可した。悪い話の時はいつも名前が出てくるのでダーテイ下村と考えていた。

ところが彼は小学3年生の時に飲酒運転のオートバイ事故で父親を失った。彼の母親は3人の子供を育て上げた。早稲田雄弁会から政治家を志した。しがない私と比べて大臣まで上り詰めた彼は立派だ。

今日から彼の奮闘を期待するしかなくなった。自民党内で圧力がかかり政倫審への出席は無理なように見えるが注視していこう。下村さんを森喜朗が嫌うのは下村博文が文科相の時に国立競技場の設計者を選んだ経緯が絡んでいると言われる。今は安倍派5人衆にいじめられているらしい。政倫審に下村さんが出ればどんな発言が飛び出るかわからないので、相当の圧力がかかっているようだ。

(文責:岩澤信千代)