🗓 2025年01月02日
吉海直人
みなさんはイギリス人医師のウィリアム・ウィリス(1837年~1894年)を知っていますか。戊辰戦争・鶴ヶ城籠城で負傷した兵士を、敵味方の区別なく進んだ西洋医学の力によって治療した人です。この人のことを知ってほしいと思って、ここに紹介する次第です。ウィリスは外交官兼外科医師です。1862年駐日英公使館の領事館付き医官として来日しました。
1868年に起きた鳥羽・伏見の戦いでは、京都から送還されてきた会津藩の負傷兵を大阪で治療しています。さらに大山巌の依頼で京都に赴き、相国寺内の養源院に設けられた薩摩藩野戦病院で、100名以上の負傷者の治療にあたっています。緊急事態とはいえ、開国後に朝廷の許可を得て京都滞在を許された最初の外国人がウィリスでした。その際ウィリスは、数人の日本人医師を助手とし、石炭酸を使用した手術室の消毒、クロロフォルム麻酔を使用しての銃弾摘出手術を行いました。鉛の銃弾が体内に残っていると、敗血症で死に至るからです。負傷兵の中には、首を貫通する銃創を負った西郷隆盛の弟の西郷従道もいましたが、適切な処置のおかげで助かりました。その見事な外科処置を目の当たりにした日本人医師は、西洋医学のすぐれたノウハウや手術道具に大いに驚かされ、ウィリスから西洋医学を学ぼうとしました。
その後、新政府の要請で江戸に赴き、上野戦争の負傷兵の治療も行っています。そこからさらに東北戦争へも従軍し、高田・柏崎・新潟・新発田を経て会津に向かっています。ところが敵の捕虜は処刑されてしまい、手当てを受けることはありませんでした。それに対してウィリスは、新政府が敵対する大名の家臣を見さかいなく殺害していることを世界の国々が聞けばぞっとするだろうし、文明国は憎悪心をたぎらせるだろう。敵の負傷兵に寛大な処置をとると約束してもらえたら大変嬉しいと抗議しています。敵味方の区別なく治療することが人道主義というか赤十字の基本的な考え方だったのです。これが功を奏して、会津藩の負傷兵の治療ができたのです。
鶴ヶ城が開城された後、ウィリスが英国公使パークスに宛てた報告書によると、彼は1600人もの負傷兵の治療を行ったとのことです、その内訳は、政府軍が900人、会津藩士が700人だとあります。それだけではなく、「厳しい寒さと深い積雪の中、着のみ着のままで火の気のないあばら屋に詰めこまれた傷病者は、米以外何の支給もなかった。 その悲惨を軽減するため、私は所持金すべてを注ぎこんだ」と報告しています。その惨状を見るに忍びず、所持金140ドルを義援金として惜しげもなく寄付したのです。それどころか、これだけしか手持ちのお金がなかったことを残念思っていると述べています。ウィリスによって救われた会津人が一体何人いたでしょうか。おそらく新島八重も、黙々と治療にあたるウィリスの姿に感銘を受けたはずです。八重や捨松による日本赤十字社への思いはこれが原点だったのではないでしょうか。
戊辰戦争での獅子奮迅の働きを認められたウィリスは、明治天皇に謁見を賜り、政府から感謝状を与えられます。そして新政府の要請で、東京医学校兼病院(東京大学医学部前身)の院長に任命されました。しかしながら旧弊の蘭方医との軋轢が生じ、ドイツ医学を取り入れた改革が進められたことで、新政府はドイツ医学を医学教育に採用することに決定し、ウィリスは居場所を失いました。そこで西郷隆盛は、弟を救ってもらった恩義もあるウィリスを、鹿児島にできた鹿児島医学校(現在の鹿児島大学医学部)の医学校長兼病院長として迎えました。就任したウィリスは、5か月間に3000人以上の患者を治療しながら、医学生達の教育に力を入れました。ウィリスの活躍で、鹿児島は西日本における医学の中心地となり、他県からも生徒が集まってきて、生徒数は600人にも及びました。門下生の一人である高木兼寛は日本最初の医学博士であり、東京慈恵会医科大学の創始者でもあります。彼は日本の国民病とされていた脚気の原因が栄養欠乏だと突き止めたことで、「ビタミンの父」としても知られています。ある意味、東大からウィリスを追い出したドイツ医学に一矢報いたのです。
その後ウィリスは、友人のアーネスト・サトウが総領事を務めていたタイ国バンコクに行き、そこで英国総領事館付医官として医療の発展に貢献しています。その後帰国して57歳の生涯を終えています。これでおわかりのように、ウィリスは会津の大恩人でした。どうか名前だけでも記憶にとどめてください。
(参考文献)
- ヒューコータッツィ・中須賀哲朗訳『ある英人医師の幕末維新 W.ウィリスの生涯』中央公論社・1985年
- ウィリアム・ウィリス・ 大山端代訳『 幕末維新を駈け抜けた英国人医師―甦るウィリアム・ウィリス文書』 創泉堂 ・2003年11月
- 山崎震一『ウィリアム・ウィリス伝 薩摩に英国医学をもたらした男』書籍工房早山・2019年1月