🗓 2025年07月19日

吉海 直人

1973年にノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏が、同志社と関わっていたことをご存じですか。江崎氏の最終学歴は東京帝国大学なので、まさか同志社の学校にいたとは思わないですよね。ところが中学校まで遡ると、江崎氏が同志社中学校に入学していた事実が判明しました。そのことは江崎氏自身が次のように述べています。
 私の最初の挫折は十二歳の時に京都府立中学校の入学試験に落ちたことなんです。それで非常に落胆したのですが、十三歳で同志社中学(旧制)に入学することになりました。1938年(昭和13年)のことです。この同志社でキリスト教に基づくアメリカ文化という新しい世界にさらされたことが、私にとっては視野を広げることが出来てとてもプラスに働きました。十三歳というのはちょうど、他律に疑問を抱き、自ら物事を探求することができる時期の始まりです。自我の目覚めですね。その頃から、全人類に価値のあるサイエンスの研究こそが自分のやるべき仕事ではないかと思うようになりました。同志社中学にいたことが、私がサイエンスの研究で国際的に活躍できる基盤を作ってくれたのだと思います。
 もう少し付け加えると、江崎氏は京都市立第四錦林尋常小学校から京都府立京都第一中学校を受験しますが、不合格となったので兵庫県立師範学校御影附属小学校高等科を経て同志社中学校に進学しています。中学校を卒業した後、第三高等学校に進学し、1944年(昭和19年)に東京帝国大学に進んでいます。それもあって同志社は、遅ればせながら2016年に江崎氏を社友とし、同志社社友記を贈呈しています。
 なお中学校の時の恩師の一人であった久永省一氏は、「そのころの江崎玲於奈博士」というタイトルで、中学校の頃の江崎氏を回想しています。その中に、

このように頭が良く、体力もあった彼がなぜ一中の受験に失敗したのか。それは比較的、軽いものであったが、彼の吃音のせいであったと思われる。級友同志で対話するときは、さほどでもなかったが、堅張するような場面にぶつかると、それが表面に出た。

と書かれていました。軽い吃音が不合格の原因だったかどうか定かではありませんが、少なくとも江崎氏本人は、同志社中学校で過ごした四年間が人間形成に大いにプラスになったと証言しています。

ところで「玲於奈」という名前、珍しいと思いませんか。一体どんな由来があるのでしょうか。これについても江崎氏自らが以下のように語っています。
 父は最初、獅子の如く勇敢になれということで「レオ」にしようと思ったのですが、今までにない名前ですから役所の人が驚いて「レオナ」とする方が据わりが良いのではと言ってきた、という話を母から聞きました。レオナルド・ダ・ヴィンチをまねしたといってもいいかもしれませんが、父が世界に通じる名前をと考えたのは、その頃大正デモクラシーが叫ばれ、産業の都である大阪が大変栄えていた背景があります。外国に行くとレオというのは非常に簡単で、みんな覚えてくれる。国際的に活躍するのには、良い名前だと思います。
 ジャングル大帝レオでおわかりのように、レオはラテン語でライオンのことです。父親は獅子のように勇敢な子になることを願ってレオにしようとしたようですが、役所の人に「レオナ」を薦められたとのことです。その「レオナ」に「玲於奈」という漢字をあてたというわけです。