🗓 2026年02月21日

吉海直人

古典で親しまれている鳥といえば、うぐいす(鶯)とほととぎす(時鳥)があげられます。両者を比較すると、うぐいすは春の訪れを告げる鳥で、ほととぎすは夏の訪れを告げる鳥です(共に初音が詠まれています)。ただし、うぐいすが留鳥であるのに対して、ほととぎすは渡り鳥という相違もあります。要するにうぐいすは一年中日本にいますが、ほととぎすは初夏にやってきて秋になると日本からいなくなってしまいます。

面白いのは、ほととぎすがうぐいすの巣に卵を産むことです(托卵)。これに関しては既に『万葉集』の中の長歌に、「うぐいすのかいごの中にほととぎす独り生まれて」(1755番)と歌われており、当時から知られていたことがわかります。

両者の共通点として、ともにその鳴き声が和歌に多く詠まれていることがあげられます。それは季節の変わり目に鳴くからでした。必然的に初音を聞くための努力も払われています。和歌を調べてみると、うぐいすは梅と一緒に詠まれ、ほととぎすは卯の花や橘の花と一緒に詠まれています。それは初音の時期と開花の時期がほぼ一致しているからでしょう。

前にほととぎすを扱ったので、ここではうぐいすを取り上げます。ほととぎすに異名が多いことは述べましたが、うぐいすにもいくつかの異名があります。季節的な春鳥や春告鳥(報春鳥)は、『古今集』に、

鶯の谷より出づる声なくは春来ることを誰か知らまし(14番)

などと詠まれていることによります。またその鳴き声の特徴から、経読鳥・人来鳥などとも呼ばれています。経読鳥は「ホーホケキョ」が「法華経」と聞こえるからであり、人来鳥は『古今集』の俳諧歌に、

梅の花見にこそ来つれ鶯のひとくひとくといとひしもをる(1011番)

と詠まれているように、鳴き声が「人が来る」と聞こえたことによります。

その他、歌詠鳥うたよみどりという名称の由来は少々教養を必要とします。というのも、紀貫之が『古今集』仮名序に、「花に鳴く鶯、水に棲む蛙の声を聞けば、生きとし生けるものいづれか歌を詠まざりける」と記したことから命名されたものだからです。これはいわば文学的名称であって、現実にうぐいすが歌を詠むわけではありません。

「うぐいす」はもともとは迎春の鳥として喜ばれていましたが、平安時代になって藤原敏行はうぐいすに「憂く干ず」(辛くて涙が乾かない)というマイナスの意味の掛詞を入れ込んで、

心から花のしづくにそほちつつうくひずとのみ鳥の鳴くらむ

(古今集422番)

という物名歌を詠んでいます。言語遊戯は『古今集』の特徴でもあったのです。

歌の詠まれ方を見ると、うぐいすと梅は絶妙の取り合わせのように見えます。そのために「梅に鶯」とか「鶯宿梅」という言い方もあるし、絵画などにもよく取り合わせられています(花札にもあります)。ところが実際には、うぐいすはさほど梅を好んでいるわけではないとのことです。むしろ梅を好んでいるのは「めじろ」です。当然、メジロをうぐいすと間違えていることが多いようです。みなさんはきちんと見分けられますよね。

鳴き声にしても、「法華経」と聞くのはあくまで人間の耳であり、うぐいすがお経を読んでいるわけではありません。鳥の研究者にいわせると、うぐいすが「ホーホケキョ」と鳴き続けているのは、縄張りを主張しているからだそうです。またうぐいすの谷渡りと称される鳴き方は警戒音で、メスに身を潜めていろと告げているとのことです。

これを知るとちょっと興ざめな気がしますが、いずれにしてもうぐいすの鳴き声を愛でているのは、あくまで人間の側の受け取り方なのでした。