🗓 2026年03月16日

1月30日に、「熊本バンド結盟150周年記念早天祈禱会」に出席してきたのですが、その前夜祭で同志社の八田英二総長の隣席を賜るという滅多にない幸運に恵まれました。

その宴席で、以前から不思議に思っていたことを尋ねてみました。山本覚馬が同志社にとって極めて重要な人物であるにもかかわらず、彼の名を冠した建物が同志社になぜ一つも無いのかということでした。今年、新しい図書館ができるのなら、「山本覚馬記念図書館」と名付けることはできないのか、と尋ねてみたのです。総長は、「図書館に人の名前を冠した例がない」との返事でしたが、津田塾大学には現に「星野あい記念図書館」なるものがあります。あえて反論はしなかったのですが、直後に総長から「3月に京田辺キャンパスに新しい建物ができるので、そこに山本覚馬の名前を冠する予定だ」と仰いました。僕は「嬉しいニュースです」と返したのですが、それ以上の突っ込んだ話はしませんでした。翌日の「花岡山結盟150周年記念早天祈祷会」で、同志社大学キリスト教文化センターの李元重(リ・ウォンチュン)という准教授にお会いしたのですが、この人から新しい建物は今年3月に竣工予定の「山本覚馬記念アリーナ」だと教えてもらいました。11月のホームカミングデイで、新築のアリーナが見学できると思うと楽しみです。

昨日は吉海先生から嬉しいお便りを戴きました。

『新島研究』第117号の抜刷として、2026年2月12日発行の小冊子「山本覚馬の生涯―会津と京都と同志社と―」をご恵贈いただいたのです。大変うれしかったです。

2年前の新島八重顕彰会にて、吉川先生の同じ演題によるご講演を拝聴し、私は深い感銘を受けました。同志社の創立といえば、新島襄の志と行動が広く語られておりますが、その実現の背後には、山本覚馬の先見性と献身、そしてJ. ディヴィスの協力が不可欠であったことを、先生のご講演を通じて改めて強く認識いたしました。特に、会津から京都へと至る覚馬の歩み、視力を失いながらも近代国家の構想を描き続けた精神の強さ、そして妹・八重との絆の物語は、私の心を大きく揺さぶりました。

同志社においては、新入生教育の中で新島襄の教えが語られる機会は多いものの、覚馬の思想や役割に触れる場は決して多くありません。しかし、同志社の精神の根幹には、覚馬が京都府顧問として示した「文明開化の青写真」と、彼が新島襄に託した教育への信念が確かに息づいていると感じております。吉海先生のご研究は、その歴史の陰に隠れがちな覚馬の真価を照らし出し、同志社の原点をより豊かに理解するための貴重な道標となるものです。

現在、青山霞村著『山本覚馬傳』を読み進めておりますが、吉海先生が長年にわたり蓄積してこられた研究成果が結実する「新山本覚馬伝」のご発表を、心より待ち望むものです。覚馬の思想と生涯が、現代に生きる私たちにどのような示唆を与えるのか、先生の筆によって新たに描き出される日を楽しみにしています。

投稿者:寄留 博樹