🗓 2021年04月07日
昨日、吉海先生よりご恵贈頂いた「定本 新島八重伝 倜儻不羈(てきとうふき)の女」と「徳富蘇峰記念館所蔵 山本覚馬・新島八重書簡の翻刻と解題」の冊子を大龍寺の奥さん(正式には寺庭夫人)に届けた。
丁度、その時に近くの東山小学校の生徒たち7.8名が野外学習か庫裏を訪ねてきた。「ここの奥さんはNHKの『家族に乾杯』に出た有名人だよ。」と言っても誰一人その番組を知らなかった。そんな中一人の静かな女の子が、私に聞く「この犬の名前は何というんですか?」私は当然知らないから奥さんに聞いてと帰りかけた。その時奥さんの声が聞こえた。「シメタだよ。」子供たちはキョトンとしていた。
七五三太(シメタ)は、同志社の創立者新島襄の幼名である。女の子ばかり続いた後に男の子が生まれたので祖父弁治が喜んで「しめた。」と叫んだのでその名がつけられたともいう。八重のことを勉強している人か同志社関係者でないとわからないと思うので当然小学生の彼らには理解できないし、犬の名前と言えば「ポチ」・「ジョン」などしか連想しないであろう。
帰ってから、寺庭夫人宮子様に確認すると「シメタ」は「八重の桜」が放映された前後に大龍寺で飼われるようになり増子大道住職が名付け親だそうである。
聞くところによるとバスに乗り団体で山本家の墓を訪れた年配の同志社OBの一団が整然と並び全員が犬と握手をして帰ったという。
同志社OBが校祖新島襄(しめた)を敬慕する気持ちが強いことが分かった。シメタという犬にまで握手をするのだから。
ちなみに現在ではシメタは人生相談もするらしい。シメタに悩みを一方的に話しかけ「俺の話を聞いてくれるのは、お前だけだ。」と言って満足して帰っていく参拝客が多いそうである。但し、寺庭夫人の悩みは人柄(犬柄?)が良すぎて番犬としてはとても役に立たないらしい。
(文責:岩澤信千代)