🗓 2022年06月29日

大日本帝国憲法第11条は「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と定めていた。従って、海軍大臣も軍令部総長も連合艦隊司令長官も鎮守府司令長官もすべて平等に天皇の直属である組織図になっていた。それでは誰が海軍を動かすのか。天皇の「奉勅」(ほうちょく)を軍令部総長が伝達する仕組みだ。ただ天皇は戦のプロではない。軍令部総長が「このような作戦命令に関し、慎みてご裁可願います。」と丁寧にお願いして許しを得るということである。軍令部総長は裁可を得たうえで「大海令」という文書を発し全軍を動かす仕組みである。従って山本五十六連合艦隊司令長官はこの命令に従い真珠湾攻撃を行ったのである。

昭和16年12月1日

奉勅  軍令部総長 永野修身

山本連合艦隊司令長官ニ命令

1 帝国ハ12月上旬ヲ期シ米国、英国及蘭国ニ対戦スルニ決ス

2 連合艦隊司令長官ハ在東洋敵艦隊及航空兵力ヲ撃滅スルトトモニ敵艦隊東洋方面ニ来攻セハ之ヲ撃滅スヘ

3 連合艦隊司令長官ハ南方軍総司令官ト協同シテ速ニ東亜ニ於ケル米国、英国次テ蘭国の主要根拠地ヲ攻略シ

南方要域ヲ占領確保スヘシ

4 連合艦隊司令長官ハ所要ニ応シ支那方面艦隊ノ作戦ニ協力スヘシ

5 前諸項ニ依ル武力発動ノ時期は後令ス

6 細項ニ関シテハ参謀総長ヲシテ指示セシム

これをもとに海軍軍令部総長が「大海指」(だいかいし)という文書で具体的な命令を出していった。

天皇は大まかな指示をすれども命令はしていないのである。米国が天皇を戦争犯罪人にできなかった理由の一つがここにある。

「日本海軍がよくわかる事典」(太平洋戦争研究会・PHP文庫)を最近読んで疑問が一部氷解した。

ちなみに日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破り真珠湾攻撃でそれなりの戦果を挙げた日本の帝国海軍は1944年9月14日に行われたマリアナ沖海戦で空母9艘が撃沈され、消滅の運命に近づいた。その時の戦力は日本:空母9艘・飛行機450機 米国:空母15艘・飛行機950機と劣勢であったが、戦闘機の航続距離で日本は勝てると踏んでいた。しかし米国はレーダーや戦闘情報センターから飛行機や他の飛行機に電話で連絡できるシステムをすでに構築していた。航続距離を過信していた日本の飛行隊は、ことごとく敵艦の艦砲射撃や待ち伏せした米国航空隊の餌食となった。すなわち高度な科学技術を持った米国軍に無謀にも突撃したのである。こうして日本海軍の機動部隊は壊滅したのである。戦艦「大和」「武蔵」が出動したときは航空機の援護なしにレイテ沖に向かうという全滅行動に出たのである。会津藩出身の出羽重遠海軍大将や東郷平八郎元帥が華々しく活躍した日本海軍の連合艦隊はかくして完全に消滅したのである。

 

(文責:岩澤信千代)