🗓 2023年03月21日
WBC対メキシコ戦は気合を入れてテレビ観戦していたが、負け試合になるのではと思い、「保科正之公と土津神社」(土津神社整備奉賛会)を読みながらうわの空でテレビの音を聞いていた。聞いていたら3点リードされていたのに同点に追いついたが、またもや1点リードされ万事休すと思いまた本に戻った。そうしたら本会樋口副会長の先祖に巡り合った。現斗南会津会会長の山本源八会長は会津藩家老内藤介衛門信節の曽孫である。戊辰戦争当時、その信節の父親可隠は隠居していたが西軍が若松城下に侵入したので面川にある菩提寺泰雲寺に避難していた。砲火が迫りもはやこれまでと内藤一族と親類筋の上田家と共に19人が壮烈に自刃した。集団自決である。現在では、子孫の方が協力して泰雲時には19人の慰霊碑が立っている。
内藤家老家に先祖が嫁に行っていると系図に書いてあるとのことで樋口副会長とその碑を見に行った。慰霊碑わきの墓碑銘に「内藤信全妻樋口氏」と書いてあった。樋口副会長は先祖に手向けるために花を用意されていた。しかし樋口氏所有の家系図に女子の名前は書いていないので樋口さんも名は不明と言われていた。ところがこの本に自刃者の氏名が書かれていたのである。父可隠とか当主信節からの続柄表示なので「叔母セイ」が樋口氏のご先祖様であることが判明し樋口さんに早速メールした。
このあたりの文章を読んでいた時にはWBC敗色濃厚で「自刃→敗退」の連想のさなかであった。
その後村上様のタイムリーで大逆転勝利の奇跡を見たのでテレビにかじりついた。
その頃、また大発見に巡り合った。京都會津会の法要で新島八重と同席していた秋山角弥が町立猪苗代尋常高等小学校の校歌をつくっていた。秋山角弥は京都會津会の法要の模様を会津会会報に「京都通信」で詳しく投稿していた。盛岡中学では石川啄木にも教鞭をとっていた人物である。当時の旧制中学の教師は全国的に転勤があった。なぜ秋山角弥が猪苗代?父親平治が土津神社の宮奴(みやっこ)でつながりがあったのだ。
その後、この土津神社の社領回復のために努力された人々の功績が綴られている。御薬園もその寄付金で買い戻され容保に献上されたらしい。
6月に櫻井よしこ先生を土津神社に案内するので下調べをしていたのだが、気になっていたことが判明し、尚且つ明日WBC決勝戦でサムライジャパンの雄姿が見れる。今日は素晴らしい日だ。
おまけにインドを訪問していた岸田首相がウクライナを電撃訪問するニュースが流れた。よくやった。長引けば優柔不断を責められるところだった。4月の選挙に吉と出るかもよ。政党支持率が上がらない野党にとっては打撃になるだろう。
(文責:岩澤信千代)