🗓 2023年06月01日

今一番有名な兜と聞かれれば大半の人が「ホームランを打った時に大谷がかぶる鍬形兜」と答えるであろう。

昔会津92万石の領主蒲生氏郷という人がいた。彼は家来に向かって「戦場に行けば白金の鎧兜を着用した武将がいる。そのように戦うのだ。」といった。その武将とは蒲生氏郷本人である。彼は戦場で燕尾形兜(えんびなりかぶと)をかぶり勇猛果敢に戦った。大将が討ち死にすれば戦は負けである。そんなことはお構いなしに数々の戦功をあげた。

会津若松の興徳寺に蒲生氏郷の墓がある。京都大徳寺黄梅院にも墓があるが会津にも髪の毛を納めたという墓がある。

興徳寺は小田原城を陥落させた豊臣秀吉が会津に来た時の宿泊所にもなった。伊達政宗を会津から追い払った奥州仕置きをした有名なお寺である。先日そのお寺を訪問したら、燕尾形兜の写真があった。岩手県立博物館蔵とある。岩手博物館のデジタルアーカイブを覗いたら蒲生氏郷の妹が南部藩の殿様に嫁ぎ、持っていったということである。どうして岩手県にあるのかと疑問に思ったのだが説明書きを読んで氷解した。蒲生氏郷はその勇猛果敢さと人望により、地位が脅かされると心配した豊臣秀吉に毒殺されたという疑念が根強い。40歳前後にこの世を去ったが長生きしたらどんな武将になっただろうかと想像を掻き立たせてくれる時代の英傑である。

限りあれば吹かねど花は散るものをこころみぢかき春の山風

(文責:岩澤信千代)