🗓 2023年08月21日

HPに角田さんの名前を載せたことを連絡すると角田さんからSMSが返ってきて、疑問が氷解した。

要約すると、大学入試の第一志望が早稲田政経学部であった。浪人していた時の予備校の講師が早稲田の講師や助教授が多かったこと。浪人時代の下宿が沼袋で早稲田の学生が多かったこと。一番の理由はおなじ下宿に住んでいた早稲田の学生が委員長を務めていた早稲田船上大学に参加し35日間のヨーロッパ旅行に参加したこと。他大学の学生も参加し80名のツアーだったそうだ。ことあるごとに早稲田の校歌や紺碧の空を歌っていたから自然と覚えたそうだ。神宮球場に行き早慶戦も応援したようだ。従兄弟も早稲田生であり周りに早稲田生が多かったらしい。

日本の私立大学の歴史はまず慶應ができ、8年後に同志社ができ、その8年後に早稲田が創立された。創学期の早稲田には多くの同志社OBの教授がいた。野球部で貢献した安部磯雄も同志社である。授業の合間に安倍球場での練習を見に行ったものだ。

山本覚馬の娘みやの夫横井時雄もいた。世界的な歴史学者イエール大学の朝河貫一(福島県出身)を教えたのは横井時雄である。同志社出身の横井時雄が早稲田にいなければ朝河貫一がクリスチャンになることもなく、世界的な学者になることもなかったかもしれないのだ。

角田さんは本顕彰会が出来た時からの会員であり、6月14日の顕彰祭には毎年参加して頂いている。京都在住で自ら車を運転して一泊して往復する。会津←→京都は片道7.8時間はかかるだろう。人格高潔、瓢瓢たる風情で素晴らしい方である。京都の八重墓参りツアーでも案内役をして頂いた。

来年の顕彰祭の講師である若林悠さんを推薦してくれたのも角田さんである。風刺画の若林さんも新境地を開いて将来有名な方になるかもしれない方である。そうなったら薄謝で講演は頼めなくなる。

「文芸春秋」に若林悠さんの対談の記事が載ったので「これからメジャーになりますね。」と言ったら「対談の日に10分遅刻していったから、文芸春秋はまた呼んでくれるかわからない。」と言っていた。この方も瓢瓢として些事にこだわらない。

講演を聞けばわかりますが風刺画にはものすごい庶民のパワーが隠されている。来年の講演が楽しみである。若林さんも新島襄・八重の同志社大学文学部卒業である。来年の前夜祭で角田さんと肩を組んで若林さんと「紺碧の空」でも歌おうか。若林さんは歌えないだろうが口パクの参加はできるだろう。

また、来年の研修旅行は角田さんの郷里群馬県安中市を予定している。安中市観光ボランテイアの会とは「八重の桜」放映の時からご縁があり、副会長さんに旅程を考えてもらっている。新島襄生家を含め新島学園などを回りたいと要望している。二日目は白根山か軽井沢か旅行会社と相談する予定である。

(文責:岩澤信千代)