🗓 2021年03月05日

中井 けやき

柴五郎と北京

 昔、島崎藤村・幸田露伴・芥川龍之介・中里介山など好きでよく読んだが、その作家たちが活躍した明治・大正といった時代そのものには関心がなかった。
 ところが、『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』を読んで、明治維新のイメージがひっくり返った。それ以来、日本近代史に興味を抱くようになった。
 中公新書『ある明治人の記録』は20版を重ねる大ベストセラー。100冊購入して周囲に薦める人さえいた。故経団連会長・平岩外四さんである。毎日新聞の本紹介欄でそのことを知って、新聞社に卒論をまとめた冊子「柴五郎とその時代」を送り平岩さんにお届け願えないか頼んでみた。やがて、平岩さんから直筆のお手紙が届いた。
 平岩さんも「ある明治人」柴五郎少年のその後が気になっていたそうで、「急いでじっくり拝読した」とあった。人の上に立つ人は町のおばさんにも偉ぶらない。感謝しつつ時おり読み返し励みにしている。

 柴五郎7歳の時、長兄太一郎は戊辰戦争の発端である鳥羽伏見で戦っていた。父の佐多蔵、二男謙介、三男五三郎、四男四朗、柴家の男子はみな出陣、残るは幼い五郎と女子のみであった。敵が会津城下に攻め入ると、母は五郎を下僕に託し自害する。
 五郎は祖母・母・姉、幼い妹まで女家族5人が自害したのを知らず、下僕に伴われ山荘の奥深く逃れる。それからの苦労は枚挙にいとまがない。敗戦で賊軍の汚名を着せられた東北諸藩の人民の困難の始まりである。
 しかし、泣いても始まらない。五郎はなんとか困難に耐え苦学し士官学校入学、道を切り開いていったのである。やがて陸軍砲兵大佐となった五郎は北京の日本大使館駐在となる。そこでの活躍が『日露戦争を演出した男モリソン』にでている。著者はオーストラリア在住の作家、ウッドハウス暎子。
 物語の主人公はオーストラリア人ロンドンタイムス記者G・E・モリソンだが、義和団(団匪)に包囲された北京を救うため、共に活躍した柴五郎砲兵大佐もよく描かれている。

 1900明治33年、義和団の乱(北清事変)。
  北京の街は義和団に包囲され、外部と連絡が取れず食料も不足。そのとき、北京の日本公使館付き駐在武官、陸軍砲兵大佐・柴五郎が主導、八カ国の大使館員、義勇兵と少人数の守備隊、モリソンらと連合して大活躍。五郎は中国語・フランス語・英語どれも堪能で、北京駐在八カ国の公使・大使他、義勇兵らに状況を説明、作戦遂行に支障がなかった。
 イギリス公使マクドナルド(のち駐日大使)は柴五郎砲兵大佐を讃えていう。
「籠城した外国人たちの命を救った功績をたった一人に帰することができるとしたら、それは、物静かで、冷静で、決意にみち、機略縦横の日本将校だった」。

熊本城と谷干城

 話を明治維新期にもどすと、薩長土肥の藩閥政府が実権を握っていた。そのため、賊軍とされた側は生きていくのに困難があった。しかし、諦めず学問に励み、さらに新知識を得るため海外渡航を望む若者も少なくなかった。かつての敵将のなかにも出身に関係なく意欲ある若者を引き立てる人物もいた。
 たとえば、戊辰の戦で会津を攻めた土佐の谷干城、彼は出身に関係なく将来ある者を引き立てた。たとえば、周囲の反対を押して会津藩の山川浩を陸軍に入れた。
 西南戦争で、谷が守備する熊本城が西郷軍に包囲され孤立、そのとき一番乗りして囲みを解いたのは山川浩である。そのとき、柴四朗も山川隊の臨時将校となり熊本へ赴く。
 そして、谷の知己を得て三菱創業の岩崎家に出入り、その援助でアメリカ留学を果たすことができた。
 6年後、アメリカから帰国した四朗は『佳人之奇遇』を出版、一大ベストセラーとなる。

東海散士とアイルランド

 『佳人之奇遇』は、フィラデルフィアのインデペンデンスホール、アメリカ創業の地から始まる。そこで主人公・東海散士はアメリカに亡命中のアイルランド人紅蓮、スペイン人幽蘭の二佳人と出逢うところから物語が始まる。
    ―――東海散士一日、費府(フィラデルフィア)の独立閣(インデペンデントホール)の登り仰で自由の破鐘(欧米の民大事ある毎に鐘を撞て吉凶必ず閣上の鐘を撞く。鐘遂に裂く。後人呼で自由の破鐘と云ふ)を観、俯て独立の遺文を読み、当時米人の義旗を挙げて英王の虐政を除き、卒に能く独立自主の民たる高風を追懐し、俯仰感慨に堪へず。愾然として窓に倚て眺臨す。會會二姫あり、階を繞て登り来る・・・・・

 『佳人之奇遇』出版後、柴四朗は谷干城農商務大臣の秘書官として、ヨーロッパ視察旅行に随行。この経験が『佳人之奇遇』続編に活かされる。
 第二編。イギリスに圧迫され貧困にあえいでいるアイルランドの独立運動の指導者、パーネル女史が登場。アメリカから遠い日本の散士が、更に遠いアイルランドの惨状をなぜ持ち出したのか。それは19世紀末の世界事情にあった。
 当時、アジア・アフリカ地域へヨーロッパ諸国の侵略外交が盛んに行われていた。内紛を繰り返すエジプトは、イギリスなど外国の干渉を招き危急存亡の機に陥っていたし、アイルランドはイギリスに圧迫され貧困に苦しんでいた。
 アイルランド独立戦争を描いた映画「麦の穂をゆらす風」は、若者が英語ではなく母国語アイルランド語で名乗ったため、イギリスの治安警察部隊に殺されるという衝撃的なシーンから始まる。

 アイルランドは「佳人之奇遇」ヒロイン紅蓮の故郷だが、なぜ、日本から遠く離れたアイルランドなのか。それは当時の心ある明治人に、西欧列強の脅威にさらされる明治日本とアイルランドが重なって見え、よそ事とは思えなかったからだ。
 アイルランドは1845(弘化2)から3年にわたる「ジャガイモ飢饉」から数十年、政治的・経済的に苦しんでいた。
 1880(明治13)年代になるとイギリスからの自治、さらに独立運動が活発になる。『佳人之奇遇』に登場するパーネルは、実在の独立運動指導者である。
 アイルランドの惨状は他人事とは思えず、散士は『佳人之奇遇』で警告を発し、共感されたのである。次々と続編が出、物語は変化しつづけ第八編、アジア朝鮮の巻で終わる。

 柴四朗の対外強行と国権主義に賛成、また反対意見もあるだろう。それはひとまずおいて、四朗にしてみれば、戊辰戦争で国(藩)を失った亡国の苦しみを味わったからこその対外強行なのだ。東海散士が現代のコロナ禍の世界を見たら、どのような物語を描くだろう。     **********

『増補 明治の兄弟 柴太一郎・東海散士柴四朗・柴五郎』
 書籍と電子版を予定しています。
 電子書籍 ¥1520+税 ・ 2021年4月28日発売