🗓 2021年08月07日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

聖書の文言ということでは、例えばアンドレジイド作の『狭き門』という有名な書名があげられます。ひょっとするとみなさんの中に、そのタイトルが聖書の引用であることに気付いていない人もいるかもしれませんね。ただし現在では聖書の意味と全く異なり、受験の影響で、偏差値の高い難関校の意味にゆがめられて用いられています。
 また英語の「ホーム」を家族ではなく「家庭」と訳した話は有名ですが、その訳者は内村鑑三だと言われています。その他、みなさんがよく口にする「青年」も同様です。これは同志社出身の小崎弘道がYMCAのYMつまりヤングマンを若者と訳さずに、あえて「キリスト教青年会」と訳したのが最初だと言われています。
 もっとも「家庭」も「青年」もそれ以前に全くなかった概念ではなく、漢語の熟語として存在していたのですが、それに新しい西洋的な意味が付与されたことで、意味が変容してしまいました。これだけでも十分「目から鱗」という人もいるかもしれませんが、ここまでは導入部でして、いよいよ本題の「目から鱗」になります。
 使徒言行録の9章にはサウロの話が出ています。既にイエスは十字架に張り付けにされた後なのですが、その後、ユダヤ教の信者達によってキリスト教徒は烈しい迫害にあいます。ここに登場するサウロも熱心なパリサイ派のユダヤ教徒であり、徹底的にキリスト教徒を弾圧した一人でした。
 ところがサウロがダマスコスへ向かう途中、光の中から天の声を聞き、突然目が見えなくなってしまいました。サウロは天の声に導かれるままダマスコスへ行き、そこで憎んでいたキリスト教徒アナニアの手によって開眼させられるのです。9章の続きですが、18節には「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった」と書かれています。そうです。これこそがまさに「目から鱗」という成句の典拠なのです。
 聖書では「鱗のようなもの」となっていますが、いつしか「ようなもの」が落ちました。当然、この表現は古くから日本にあった諺とか故事成語などではなく、明治以降に聖書が日本語に訳されることによって、初めて登場した成句になります(外国では成句になっていないのではないでしょうか)。そのためか岩波の広辞苑を見ると、初版本には項目として出ておらず、最近の改訂版でようやく増補されています。
 もちろん「目から鱗が落ちる」とは、単純に見えない目が見えるようになったという表層的な意味だけではありません。何かのきっかけで、突然物事の道理が理解できるようになるという比喩的な意味で使われています。それが実は聖書の中の言葉であり、サウロの信仰を改宗するほどの大きなできごとだったのです。サウロはこの敬示によって百八十度転換し、以後キリスト教の布教、特に異邦人に対する宣教活動にその生涯を捧げることになります。このサウロが後のパウロなのです。
 パウロは決して十二使徒の一人ではありません。また最初からキリスト教を信じていたのでもありません。逆に最初はそれを憎み、迫害した人だったのです。しかしキリストは、敢えてそのパウロに白羽の矢を立てました。「悪に強ければ善にも強し」という諺を思い出します。皮肉なことにパウロは、自分が最も憎んだキリスト教によって愛を、そして人生の喜びを教えられたのです。そうして「受けるより与える方が幸いである」(使徒言行録20章35節)という言葉を自らの信条として、今度はいかなる困難・迫害にも負けない不屈の精神で、キリスト教を広く説いてまわったのです。
 周囲の人達もその変貌ぶりには驚いたことでしょうが、この回心したパウロの献身的な活躍なしに、現在のキリスト教の世界的な布教・隆盛は考えられないのです。