🗓 2023年10月14日
吉海 直人
みなさんは「桔梗」という花から何を連想しますか。戦国好きの人なら明智光秀の桔梗紋でしょうか。お菓子好きには桔梗屋(山梨)の信玄餅も有名ですね。文学では宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に「桔梗色の空」が出てきます。私は真っ先に加賀千代女の「桔梗の花咲くときぽんといひそうな」という俳句が頭に浮かびました。桔梗の色とか可憐さとかではなく、紙風船のような蕾のふくらみがはじけて開花する様を、聴覚によって表現している点、見事としかいいようがありません。これ以上の桔梗の俳句は見当たらないようです。
この「桔梗」については、既に「秋の七草」のコラムで触れました。秋の七草の中で最大の謎は、「朝顔」の指す花が時代によって変化していることでしたね。特に山上憶良が詠んだ七種の歌(万葉集1538番)の「朝顔」は、今の「桔梗」のことだとされています。そのことは『新撰字鏡』に、「桔梗、阿佐加保」とあることからも察せられます。ただし「ききょう」という名称で呼ばれていたわけではなさそうです。
平安時代の「桔梗」は「きちかう」と訓読されていました。そのことは『古今集』の物名歌の中で紀友則が、
と「きちかうの花」として詠み込んでいるし、それ以外にも、
白露のおける草葉に風涼しあかつき近うなりやしぬらむ(元真集161番)
などと詠まれていることから察せられます(みんな「―近う」を使っています)。
「桔梗」は散文にもわずかながら見られます。ただしその用例の半分は衣装の色目でした。実際の植物としては、『うつほ物語』国譲下巻に、
と手紙に添えて贈っているし、『源氏物語』宿木巻にも、
と秋の花として女郎花と一緒に書かれています。もちろん『枕草子』「草の花は」にも、
と羅列されている中にありました。どうも「女郎花」と並記されることが多いようです。これは『徒然草』にも、
と継承されており、全体としては類型的な用いられ方のようです。
ところで「桔」という漢字の音は「きつ・けつ」で「梗」の音は「こう・きょう」ですから、おそらく中国語の発音がそのまま日本で定着したのでしょう。その「きつきょう」が音韻変化して、いつしか「ききょう」と訓じられるようになったと考えられます。もちろん「桔梗」には別名がありました。憶良の七種歌の「朝顔」がそうでしたね。ただし前述の『枕草子』には「桔梗、あさがほ」とあるので、この折には「桔梗」と「朝顔」は別の植物を指していたことがわかります。
それ以外に『本朝和名』という本には「阿利乃比布岐(ありのひふき)一名、乎加止々岐(をかととき)」とありました。蟻が桔梗の花を咬むと、蟻酸によってアントシアニンという色素が赤く変色するので、あたかも蟻が火を吹いたように見えることから、そう名付けられたそうです。古く『出雲国風土記』に見られる「凡そ諸の山野に在らゆる草木は、白歛、桔梗、藍漆」について、新編全集では「ありのひふき」とルビを施していますが、何故そう読むのかの理由は記されていません。もう一つの「をかととき」もそう読んだ資料が見当たらないので、「きちかう」と読んでおくのが無難かもしれません。
そもそも「桔梗」の根にはサポニンという薬の成分が含まれているので、始めは薬草として輸入され、全国で栽培されたのでしょう。紫色の花はそれなりにきれいなので、現在では愛でられていますが、古典では「きちかう」という名が韻文には馴染まなかったのか、「朝顔」以外の名称では和歌にも俳句にもほとんど詠まれていませんでした。
当然、名歌とされるものも見当たりません。友則の歌などは物名歌だからかろうじて詠まれているのです。俳句にしても、芭蕉や蕪村が「桔梗」を詠んでいないのは、そのためなのでしょう。その意味でも千代女の俳句は、もっと高く評価されていいのではないでしょうか。