🗓 2024年06月01日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

みなさんは「あ」と「い」から何を連想しますか。ロマンチックな人は、二つをつなげて「あい(愛)」を思い浮かべるかもしれませんね。私は古典の研究者なので、「五十音」の「あ」と「いろは」の「い」について考えてみました。
 「いろは」は「いろは歌」のことで、仮名を重複させることなく、四十七文字を使って七五調の韻文に仕立てた見事なものです(「ん」を入れると四十八文字)。承暦三年(1079年)成立の『金光明最勝王経音義こんこうみょうさいしょうおんぎ』に見られることから、11世紀前半には成立していたとされています。
それ以降、仮名書道の手本となったり、順番を決める指針(いろは順)として公的に使われたり教育用の「いろはかるた」が考案されるなど、明治に至るまで重宝されてきました。歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』にしても「いろは四十七」から命名されているのだし、町火消も「いろは四十七組」になっていました。ただし「ひ」は「火」に通じるし、「へ」は「屁」と同音なので、それを忌み嫌って採用されませんでした。
「いろはのい」は初歩のことですね。「いの一番」は真っ先にという意味ですが、どうも明治以降の用例しか見当たりません。これはもともと建築用語だったらしく、大工さんが柱に「い一」「い二」などと書きつけていたのが始まりとされています。それが調味料の名称に使われたことで、一般に知られるようになったのかもしれません。
 それに対して「五十音」は、遅れて室町時代の文明十六年(1484年)成立の『温故知新書』に登場しています。「五十音」「五十音図」という言い方は江戸時代からいわれていますが、本格的に小学校の教育に活用されるようになったのは、明治以降でした。江戸時代は寺子屋で「いろは」を習っていたからです。ただし明治以降も「いろは」が幅を利かせていました。その名残は、音楽の「ドレミ」に「ハニホヘト」を当てはめている点に認められます。また日本海軍所有の潜水艦も、排水量の多い順に「伊号」「呂号」「波号」と称されていました。
 「五十音図」については、タテに母音を並べ、ヨコに子音を配置することで、母音と子音の組み合わせがわかる便利なものです。それまでの「いろは」にはそういった法則は認められません。だからこそ伝統のある「いろは」を捨ててまで、「五十音」採用に踏み切ったのでしょう。
もちろん移行する際の過渡期的な問題もありました。それまで「いろは順」に覚えていたものを、急に「五十音順」に覚え直さなければならなかったからです。頭の中でそんな簡単に切り替えられるはずはありません。もっとも今となっては、逆に「いろは順」で検索するのは容易ではありませんね。
「いろは」にしても「あいうえお」にしても、そのもとは漢字でした。ひらがなの「い」は「以」から、カタカナの「イ」は「伊」の「にんべん」から作られたものです。「以」の音は「い」で、訓は「もって」ですが、では「伊」の訓はわかりますか。どうも一般には使われないようで、かろうじて人名にだけ「伊周これちか」「伊尹これまさ」などと使われています。
それに対してひらがなの「あ」は「安」から、カタカナの「ア」は「阿」の「こざとへん」から作られています。「安」は音が「あん」で、訓が「やすい」ですね。カタカナの「阿」の音は「阿吽」の「あ」ですが、やはり訓は馴染みが薄いかもしれませんが、「阿る」と書いて読めますか。これは「おもねる」です。相手の気に入るように振る舞う意味です。
 さてここまで来て、「あ」も「い」も順番のトップだったことがわかりました。近代までは「いろは」が主流だったのですが、戦後になって新仮名遣いになったことで、旧仮名遣いの「いろは」は廃れ、「五十音」が主流の座を奪いました。でも「五十音」にしても、いずれ「アルファベット」に取って代わられるかもしれません。