🗓 2019年09月07日

とても取材熱心な福島民報社の記者が「こけし」蘭で本顕彰会のパンフレットを取り上げた。同志社社史資料センターの資料もふんだんに使われており、他の宣伝パンフレットより内容が濃いものができたと自負している。会津若松市内の観光案内所をはじめ観光施設に若干のパンフレットを置かせていただいた。初めに白虎隊記念館から来館者に好評で無くなってしまったので追加で欲しいと連絡があり持参した。
取材に訪れた近藤記者に3点の特徴を話したが、それはすべて八重さんの行動様式が反映されたものである。

平石弁蔵の「会津戊辰戦争」は今でも戊辰史を語るうえで重宝なものであるが、その中に以下の文がある。

著者曰く、(女性の尊称)は本年84歳の高齢なるが、元気の旺盛なる実に壮者をしのぐの概あり、・・・・・中略。
著者の知友風間久彦氏の言によれば、刀自は松平勢津子姫の御婚儀のため京都駅を発するに臨み、昵懇じっこんの人々刀自に一等車をすすむ。刀自曰く白色は死を連想して不快なり、二等車をすすむ、曰く青色せいしょくは病人の如し溌溂はつらつたる壮者の血色の如き赤色せきしょく切符きっぷに限る、然れども単身長途の旅行なれば強いて二等車をすすめたりという・・・・・後略」

八重さんは84歳といえども壮者の色、赤色がいいという。その赤を出すために数回印刷会社に刷りなおさせた。私もパンフレットの赤色にこだわった。

赤色の背景は山本家の家紋「4つ目結」である。長岡藩の山本家は巴紋である。両方とも源氏の流れをくむ家紋であるが、長岡藩の名家山本帯刀・五十六の家紋は、武田信玄の軍師山本勘助の家紋と同じ巴紋である。八重は山本勘助の流れを汲むという説もあるが、遠くは近江源氏に繋がるとしても山本勘助の弟が長岡藩山本家の祖とみる説が正しく、会津山本家即山本勘助は疑問である。

あと、パンフレットには八重のサインの英字の練習(同志社社史資料センター蔵)が掲載されているが本会監査役の戸川兼一さんが、ホームページ「事務局だより」に八重が書いた英文の名前に「会津訛りなまり」が反映していることを指摘しているので省略する。

いずれにしても、本顕彰会のパンフレットには「八重さんのこだわり」が埋め込まれていることを報告する。また、平石弁蔵の文に出てくる八重さんの書生であり当時京大生であった風間久彦氏の長男風間健さんがお元気なので、来年大龍寺で行われる「顕彰祭」に参加頂くことになっている。

(文責:岩澤信千代)