🗓 2022年01月12日
松平容保が守護職時代、会津藩の政策立案をしていたのが公用方です。いわば現代の企業の企画部・社長秘書室のようなものです。そこの筆頭公用人だったのが野村佐兵衛直臣です。新島八重の兄山本覚馬も当時公用人をしていたので上司でした。会津会山内幹事長からご紹介を受け案内したところ、本顕彰会の会員になって頂きました、あわせて本日たくさんの資料を頂きましたので拝見しようと思います。系図には八重の幼馴染の日向ユキの父日向左衛門の妹が野村家に嫁いでおられ、かなり親近感を持ちました。
資料の中にお手紙が入っており、私と早稲田の同級生であることがわかりました。正確には卒業年度が同じなのですが私は大学に5年いたので入学年度は違います。また現在の早稲田大学総長は会津藩家老田中家の血筋を引く方です。その関係で校友会の県支部大会でいわき市に来た時に足を延ばしてもらい、会津ワシントンホテルで会津稲門会・山川健次郎顕彰会共催で早稲田大学総長田中愛治の講演会が開催されました。お手紙によると山川健次郎顕彰会の招待で野村様も聴講されていたとの事でニアミスしていました。講演後、同じ会場で会津稲門会の懇親会が行われ総長と共に「都の西北」を放歌高吟したのですが、野村さんは別行動でした。新島八重・山本覚馬兄妹とご先祖様が近い方の入会は力強く感じられます。