🗓 2020年02月25日

投稿者:山田義人
今年松竹系の映画館で封切りになる「峠・・・最後のサムライ」の中心になるであろう河合継之助と西軍軍監岩村精一郎の歴史的会談が行われた「慈眼寺」の貴重な写真です。
東軍にも西軍にも与せず中立を目指していた長岡藩の河合継之助が若い岩村に話を聞いてもらえず、長岡藩が戦闘を選択した決裂の場所です。
岩村は後年述べています。「門閥出身の苦労知らずの家老などに大した人物はいない。長岡藩の家老職河合継之助もそのようなものだろう。」と思った。
実際、河合の生家はたかだか150石どりの出身であり、努力と研鑽により藩主の信頼を受け家老職まで昇進したことなど岩村は知らなかったのです。
話を聞かず立ち去ろうとした岩村の軍服に縋り付いて、懇願した河合継之助の姿を想像すると胸が痛みます。