🗓 2020年07月13日

樋口副会長のご先祖様が内藤家老家に嫁いでいることが判明し、会津斗南会の山本源八会長とのやり取りを踏まえ樋口さんが墓参りをしたいとの事で一緒に泰雲寺に行ってきました。
山本会長は、戊辰戦争時の内藤家当主信節(のぶこと)の曾孫です。信節の父可隠が一族19人で泰雲寺で自刃しました。
昭和62年120年目に当たる年に一族が「自刃19人の碑」を建立し、祖霊を慰めました。
その石碑の前に自刃した人の墓石が並んでいるのですがその中に「信全(のぶまさ)妻樋口氏の墓」があったのです。
樋口副会長のご自宅に資料は残っていたのですが、樋口さんにとって初めてご先祖様の墓参りができた瞬間でした。
ちなみに内藤一族の石碑除幕式典には樋口さんの母堂と弟が参列され、青森の山本会長のもとに集合写真が遺っていました。
また泰雲寺の広川住職は会津高校17回卒で樋口副会長と同級生なので飲み会などでは一緒だったこともあるようですが祖先の墓があることまでは話題にならなかったようです。
会津の樋口家の資料とむつ市の山本会長の資料との付け合わせで、2000石の会津藩筆頭家老ともいえる内藤介右衛門一族が繋がりました。事前に山本会長が広川住職に連絡しておかれましたので、住職は内藤家系図を含めいろいろな資料を準備しておられました。その写真を掲載します。

会津内藤家初代の墓
自刃19人の碑前住職と樋口副会長
「信全妻樋口氏の墓」に花を供える樋口さん
内藤信全の墓
泣血氈(きゅうけつせん)
内藤家伝来の槍穂
槍の入れ物
会津藩名工「下坂の槍」