🗓 2021年03月06日
吉海 直人
NHK朝ドラ「エール」で「高原列車は行く」が登場しましたね。ただし残念なことに、作詞家については一切触れられていませんでした。この曲を作詞したのは、やはり福島出身の丘灯至夫(本名西山安吉)です。これについては面白いエピソードがあるので、ここで紹介します。
そもそもこの曲の背景は、福島の風景でした。といっても一般の鉄道ではなく、猪苗代町に敷かれていた沼尻軽便鉄道です。この路線は硫黄鉱石を運ぶための貨物用でしたが、湯治客も利用できました。丘はかつてこの鉄道を利用したことがあったので、作詞を依頼された際、その時の思い出を踏まえて書き上げたのが「高原列車は行く」だったのです。
そのため2番の「いで湯の宿」は、横向温泉の滝川屋旅館のことだとされています。3番の「五色の湖」にしても「五色沼」が想定されます。それを古関裕而は、スイスかオーストリアを走っているようなメロディに仕上げているのです。そのためモデルは、JR小海線の野辺山高原だという誤報道もあったそうです。要するに作詞家と作曲家のイメージがかけ離れていたのです。かえってそれがヒットにつながったのかもしれません。
丘は小さい頃から体が弱かったらしく、鉛筆一本でもやれる仕事を探したところ、新聞記者と作詞家が浮上しました。そこで毎日新聞社の記者になったそうです。そのかたわら、西條八十に師事して作詞を習い、日本コロンビアの専属作詞家になっています。当然、古関や野村俊夫とも古くからの知り合いでした。なおペンネームについては、新聞記者は「押しと顔」がきく、これを逆さに読むと「おかとしお」ということで、丘灯至夫にしたということです。
丘・古関コンビは、「あこがれの郵便馬車」「みどりの馬車」「自転車旅行」「登山電車で」「人工衛星空を飛ぶ」など、乗り物の歌をたくさん作っています。「高原列車は行く」もその1つだったのです。そのため二人は、「まだ作らないのは、乳母車と霊柩車だけだね」と冗談をいったりしたそうです。その後、丘は小林亜星と組んで「霊柩車はゆくよ」を作っています。
ということで「高原列車は行く」は福島で大事にされています。2009年の古関裕而生誕百年を機に、福島駅在来線の発車メロディにも採用されています(新幹線の駅は「栄冠は君に輝く」)。また生誕百十年の折に「あなたが選ぶ古関メロディベスト30」(福島民報社主催)では見事1位になっています。
しかしながら丘の代表作は他にありました。丘の代表作は、なんといっても「高校三年生」です。これは遠藤実作曲で舟木一夫が歌って大ヒットした曲でした。丘は東京都世田谷区にある私立松陰学園高校(吉田松陰に因む)の文化祭を取材した際、校庭で男女生徒がフォークダンスを踊る光景を見て、世代の違いに驚いたそうです。その衝撃から「フォークダンスの手をとれば、甘く匂うよ黒髪が」というフレーズができました。ところが当時の松陰学園高校は女子高でした。ということで、これは同じく世田谷区にある共学の都立松原高校ではないかといわれています。他校生徒が混じってのフォークダンスでもよさそうですが。
当初は「高原列車は行く」を歌った岡本敦郎に歌わせる予定でしたが、年齢的に高校三年生に合わないことから、現役の高校三年生だった舟木一夫が歌うことになりました。その際、学生服姿の舟木がジャケットを飾り、そのまま学生服を着て歌うスタイルになりました。これが大ヒットとなり、たった1年でレコードの売り上げは百万枚を超えています。
その後も舟木は、丘・遠藤コンビの「修学旅行」や「君たちがいて僕がいた」・「水色のひと」・「木枯らし紋次郎」・「旅路」などを歌っています。また「山のかなたに」(山路進一)・「東京は恋をする」(山路進一)・「夏子の季節」(船村徹)・「紫のひと」(北原じゅん)・「青春の鐘」(古関裕而)などもありますが、「高校三年生」以上のヒット曲は出ませんでした。
なお丘はアニメの作詞も手掛けており、「ハクション大魔王」(市川昭介)や「みなしごハッチ」(越部信義)・「ガッチャマンファイター」(小林亜星)などたくさん作詞しています。またロシア民謡とされる「山のロザリア」も実は丘の作詞でした。これもいい曲ですね。
虚弱体質だった丘ですが、長生きをして平成21年に92歳で亡くなっています。その葬式では「高校三年生」と「霊柩車はゆくよ」が流されたそうです。