🗓 2021年04月14日
1598年上杉景勝は豊臣秀吉より命令を受け会津120万石の太守となり、1600年直江兼続を指揮官として広大な神指城の縄張りを行い建設が始まった。関ヶ原の戦い後、石田三成方についた上杉家は米沢30万石に移封となりしろは破却された。歴史のイフはだめだが栃木県で上杉勢が徳川家康の軍を追いかけたら、家康は敗退し江戸幕府は誕生しなかっただろうと今も思う。景勝は直江兼続の進言を聞かなかった。「背中を見せて退く敵を背後からやっつけるな。」と。おそらく、関ヶ原に向かう家康軍は上杉軍のために進軍できなかっただろう。
高瀬のケヤキは樹齢800年と言われ天然記念物に指定されているが、関ヶ原の戦いより前から人々の歴史を見てきた。
投稿者:岩澤信千代