🗓 2025年12月13日

吉海 直人

早いもので今年も年の瀬になりました。毎年この時期に考えるのは、来年の干支のことです。コラムで子年からはじめて巳年(私の干支)まで何とか書き続けてきました。そして来年は午年になります。しかもただの午ではなく「丙午(ひのえうま)」です。この午年については、西暦年を12で割った時に10が余る年とされています。例えば来年の2026年・2014年・2002年などが午年でした。
 とりあえず干支から絞り込んでいきましょう。午は干支の七番目に当ります。干支は十二ですから、ちょうど真ん中ということになります。これを方位に置き換えると南になります。また時刻に置き換えるとお昼の十二時になります。干支はそれぞれ二時間ですから、午前十一時から午後一時までに該当します。ついでながら午は一日の中間点ですから、十二時を境にして、それ以前を午前、以後を午後と呼んでいます。
 旧暦では、その二時間を三十分ごとに一刻から四刻までに区切ります。ちょうど真ん中、お昼の十二時が午の三刻で、これを正午と称しています。旧暦の時刻のややこしいところは、時刻の始まりを重視にするか、それとも時刻の真ん中を重視するかです。これが統一されてないと、一時間のずれが生じてしまいかねません。これは古典の解釈でも気を付けなければならないことです。さて午という漢字をよく見てください。牛(丑)と似ていますね。画数は同じです。違っているのは、上の横棒を突き抜けているかいないかです。牛は角があるから突き抜けており、午には角がないから突き抜けないと覚えておけば大丈夫でしょうか。
 肝心の丙午の年のことですが、もちろんどの干支もみな同じです。丙午にしても六十年に一度繰り返し巡ってきます。原則、午年は縁起がいいとされています。そもそも馬という動物は、前向きでエネルギーに溢れ、成功・繁栄のシンボルとまでされています。ですから午年はプラスの要素が多いといえそうです。もともと馬は牛とともに人間の生活に欠かせないものでした。それに犬と猫を加えることもできます。
 ところが『万葉集』では非常に極端な現象が報告されています。というのも牛と犬はわずか3例ずつしかでてこないのに対して、馬は駒・赤駒・黒駒・黒馬・青馬などの例を合わせて85首の歌に詠まれているからです(猫の歌はありません)。獣の中でもっとも多く詠まれています。これによっても馬と人の結びつきの強さがわかります。それもあって馬にまつわる諺・格言も少なくありません。よく知られているものだけでも、「馬の耳に念仏(馬耳東風)」・「馬が合う」・「人間万事塞翁が馬」・「生き馬の目を抜く」・「天高く馬肥ゆる秋」・「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」・「老いたる馬は道を忘れず」などがあげられます。
 ただし丙午だけは例外として扱われています。というのも江戸時代以降、丙午の年に生まれた女の子は縁起が悪いという迷信が広まっているからです。ただその迷信にしても、自然に発生したものではなかった可能性があります。というのも、人形浄瑠璃や歌舞伎に「八百屋お七」という演目があって、お七は愛しい人に会いたいために放火するという事件を起こし、火あぶりの刑にされました。そのお七が「丙午」の生まれとされたことで、丙午生まれの女性全般の迷信として広まったといわれています。おそらく「ひのえ」に「火」が読み取られたのでしょう。
 これは何の科学的根拠もない迷信にすぎませんが、迷信が信じられたために直近の1966年に生まれた人は、他の干支に比べて25%も少なかった(出生率が低い)という統計が報告されています。これは夫婦の間で、もし丙午の年に女の子が生まれたら、将来縁談がまとまらないかもしれない、気性が激しいから育てるのに苦労しそう、迷信かもしれないが避けた方が無難だなどという理由で、妊娠・出産をためらった結果ではないでしょうか。しかも中絶の比率も高かったといわれています。さて2026年はどうなるのでしょうか。
 なお馬に縁のある京都近隣の神社としては、

許波多神社(京都府)
  競馬発祥の地で勝運の神として知られています。

貴船神社(京都府)
  絵馬発祥の地で、縁結びや金運祈願のご利益があります。

上賀茂神社(京都府)
  流鏑馬神事があります。神馬がいて、馬のお守りも豊富です。

藤森神社(京都府)
   駈馬神事があります。馬の守護神として信仰を集めています。

春日大社(奈良県)
  競馬や流鏑馬にゆかりのある馬出橋が残されています。

などがあげられます。ぜひ来年はお参りに行ってください。

最後に白馬(あおうま)の節会についてです。これは正月七日の宮廷行事です。天皇が邪気を払うといわれる白馬をご覧になった後、宴を催します。中国では青毛の馬だったのを、日本で白馬に変更しましたが、読みだけは「あお」が残ったといわれています。というのも青は春を意味するので正月の行事にふさわしかったからです。