🗓 2025年12月06日

吉海 直人

年の瀬の12月31日は「おおみそか」と呼ばれています。古典を学んでいる者としては、多少違和感を抱かずにはいられません。というのも「みそか」というのは「30日」のことだからです。では30日より一日多い31日だから「大みそか」というのかというと、そんなことはありません。この「大」は一年の最後の「みそか」という意味です。
 もちろんこれは旧暦から新暦へ移行したことによって生じたものです。旧暦(太陰太陽暦)は月の運行をもとにしています。その月は29,5日周期で地球を廻っていますから、30日の月(大の月)と29日の月(小の月)が混在しています。ですから旧暦に12月31日など絶対に存在しませんでした。逆に12月29日が大晦日になる可能性はあったのです。
 ところで「大晦日」の別の呼び名をご存じですか。文学好きの人なら、すぐに樋口一葉の『大つごもり』(明治27年)という小説を思い浮かべることでしょう。これは借金返済のためにお店のお金に手をつけるという暗い話です。どうしてその話に「大つごもり」という題名が付いているかというと、まさに「おおつごもり」の日が借金返済の最終日だったからです。
 ここでどちらの言い方が古いのか調べてみると、「おおつごもり」は室町期以降の用例があがっているのに対して、「おおみそか」の方は江戸時代中期以降の例しかあがっていませんでした。となると「おおつごもり」の方が古いいい方ということになります。もともと「つごもり」というのは「月隠」が語源とされています。要するに月が見えなくなる新月のことを意味しているのです。その「おおつごもり」には一年間の罪・穢れを祓うため、宮中では大祓が行われていました。また新しい年の豊作を祈って歳神を祀っていました。これは仏教ではなく神道の行事だったのです。
 これに仏教が入り込んできたことで、ややこしくなってきました。「除夜の鐘」はまさしく仏教ですよね。この「除夜」という中国由来の言葉も「大晦日」と同じ意味です。人間の煩悩は百八あるということで、鐘を百八回撞いてこれを除去しようというわけです。撞き方にも作法があるようですが、原則は鐘を撞いている間に日付が変わって新年になることです。
 この風習は、ひょっとするとNHKの前身がラジオで上野寛永寺の除夜の鐘を放送したことが起源なのかもしれません。それが現在も「ゆく年くる年」という長寿番組に継承されているのです。こうして古くは神社に初詣していたものが、いつしかお寺でも構わないことになっているのです。もっとも昔は神仏習合でしたが。
 その初詣ですが、かつては大晦日に参拝し、引き続き元日に参拝するのが普通でした。今でも二年参りの風習が残っているところもあります。もちろん参拝するのは自分の氏神様(住んでいる土地の神社)でした。ところが明治以降鉄道網が発達したことで、遠くの大きな神社で参拝することができるようになりました。現在参拝者が一番多いのは明治神宮です。明治神宮にどんなご利益があるのか、知らないでお参りしていませんか。
 なお風物詩となっている「年越しそば」は江戸時代から始まったもので、本来は宗教とは無縁のものでした。もともとは金箔職人が飛び散っている金箔を集めるために蕎麦粉を使っていたことから、年越しそばを食べると金が集まる・金運に恵まれるという縁起担ぎが土壌になっているとされています。またそばは「そば切」ともいいますが、麺が切れやすいことから、一年の厄を切るという意味も込められているようです。ですから同じ麺類でも、うどんやラーメンでは年越しそばの代用にはなりません。必ずそばを食べてくださいね。