🗓 2021年05月08日

同志社女子大学特任教授
吉海 直人

山口素堂の代表作「目には青葉山ほととぎす初鰹」は、俳句の域を超えて人口に膾炙されており、毎年初夏が近づくと決まって新聞やテレビに引用されています。
 「俳句の域を超えて」といいましたが、実のところ俳句として見ると、その良さはなかなか説明しにくいのです。むしろ欠点ばかりが目に付きます。初句の字余りはまあいいとして、1つには、句の末尾がすべて名詞になっていることがあげられます。もう1つは、俳句の命ともされる季語が3つも含まれている(季重なり)からです。
 これなど初心者が真似しようものなら、厳しく添削されるに違いありません。特に季語に関しては、出だしの「目には」以下、「青葉」「山ほととぎす」「初鰹」と初夏の季語が3つも連なっています。もし季語が2つだったら、おそらく名句とは称されなかったでしょう。これでもかと浴びせかけるように3つも用いていることで、かろうじて成功しているのではないでしょうか。
 最初に「目」ときたら、それは「青葉」の色を視覚的に捉えているわけですね。続く「山ほととぎす」は、特徴的な鳴き声(聴覚)になります。最後の「初鰹」にしてもただの「鰹」ではなく、味覚としての「初鰹」でなければなりません。要するに過剰と思われる3つの季語は、それぞれ視覚(目には)・聴覚(耳には)・味覚(口には)によって、換言すれば五感を駆使して初夏の到来を看取しているのです。一見すると標語のようにも見えますが、これは素堂が考え抜いた秀句だったのでしょう。
 それだけではありません。「青葉」や「ほととぎす」は、季節の推移を告げる風物として、古くから和歌に詠まれてきました。たとえば西行は、

ほととぎす聞く折にこそ夏山の青葉は花に劣らざりけれ(山家集)

と「ほととぎす」と「青葉」を美的に捉えています。素堂が西行の歌を意識しているかどうかはわかりませんが、少なくとも西行の歌に「初鰹」は出ていません。というより、和歌の伝統から「初鰹」を導き出すことはできそうもないのです。

そのことは『徒然草』119段が参考になります。
 鎌倉の海に、鰹といふ魚は、かの境には双なきものにて、このごろもてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申しはべりしは、この魚おのれらが若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づることはべらざりき。頭は下部も食はず。切りて捨てはべりしものなりと申しき。
 これを読むと、「鰹」が鎌倉の特産だったこと、しかも古老の話によると、ちょっと前まで上流階級の食膳にのぼらなかったどころか、魚の頭は下賤な者も食べずに捨てていたことがわかります。平安文学に「鰹」が登場しないのもそのためだったのです。
 ところがその後、武家の世界で大きな変化が生じました。ある時、小田原城主・北条氏綱が乗っていた船に鰹が飛び込んできました。それを見た氏綱は、鰹は「勝つ魚」なので縁起がいいということで、上杉朝定との戦を制して武蔵国を平定したのです。それ以来、鰹は縁起物として武家社会で好んで食されるようになったというわけです。
 特に初物好きの江戸っ子が飛びつかないわけはありません。初鰹を食べると寿命が75日延びると信じられたこともあって、旬の「初鰹」の値段は高騰しました。宝井其角の句に「まな板に小判一枚初鰹」とあることや、素堂の句をもじった「目も耳もただだが口は銭がいり」という川柳が詠まれていることによって、いかに「鰹」が高価だったかが察せられます。
 素堂の句にしても、「鎌倉にて」という前書きがあるので、鎌倉でとれた「初鰹」だったことがわかります。そうなるとこの句の斬新さは、非伝統的な「鰹」、しかも旬の「初鰹」を詠んだところに存することになりそうです。だからこそ「俳句の域を超えて」評判の句になったのでしょう。