🗓 2022年02月26日
吉海 直人
みなさんは西條八十という人を御存じですか。学校では詩人として学習しますが、朝ドラ「エール」では「若鷲の歌」の作詞家として登場していました。有名な「同期の桜」も彼が作詞したものです。「比島決戦の歌」(古関裕而作曲)では「いざ来いニミッツ、マッカーサー」と敵将を名指しにしたので、敗戦後に戦犯になるという噂まで流れました。
もともと彼は早稲田大学英文科の出身で、第一詩集『砂金』で象徴詩人としての地位を獲得しました。その後フランスのソルボンヌ大学に留学し、帰国後は早稲田大学の文学部教授として教鞭をとっています。だから古関裕而が「紺碧の空」を作曲する際にも、作詞の撰者として登場していたのです。
西條八十については、3つの逸話があります。最初は「八十」という名前についてです。これはペンネームではなく本名でした。しかもこれは八十という数字ではなく、父が苦しいことがないようにと「苦」に通じる「九」を抜いて、「八」と「十」をくっつけて命名したそうです。
2つ目は彼の詩が映画に使われて有名になったというエピソードです。みなさんは森村誠一の『人間の証明』という推理小説、ご存知ですよね。その中で彼の「ぼくの帽子」(「コドモノクニ」所収)が引用されていました。という以上に、アガサ・クリスティにおけるマザー・グースのように、この詩が重要な役割を果たしていました。映画では、開始早々に黒人青年が「ストウハ」という謎の言葉を残して殺されます。この「ストウハ」こそは「ストロー・ハット」(麦わら帽子)のことだったのです。また「キス・ミー」は霧積(きりずみ)のことでしたね。
その西條八十の詩は、
ええ、夏、碓井から霧積へゆく道で、
谷底へ落したあの麦わら帽子ですよ。
云々と続いています。当時、よく耳にしました。もともと森村誠一は青年の頃にこの詩に出会い、その思いを見事に自身の作品に取り入れたのでした。
3つ目は舟木一夫が歌って大ヒットした「夕笛」という詩に盗作疑惑が生じた件です。その歌詞は、
きみ泣けば わたしも泣いた 初恋の ゆめのふるさと
おさげ髪 きみは十三 春くれば 乙女椿を
きみ摘んで うかべた小川 おもいでは 花のよこがお
ふるさとへ いつの日かえる 屋敷町 ふるいあの町
月の夜を ながれる笛に きみ泣くや 妻となりても
ああ花も 恋もかえらず ながれゆく きみの夕笛
ですが、これが三木露風の書いた「ふるさとの」という詩、
乙女娘は 熱き心に そをば聞き 涙流しき
十年経ぬ 同じ心に 君泣くや 妻となりても
に類似していると指摘されたからです。確かに最後の「君泣くや 妻となりても」は一致していますね。これについて彼は否定せず、むしろ露風から了解を得ているといって押し切りました。もちろん彼の創作もたくさん含まれているので、一概に盗作とは言えそうもありません。
それはさておき、西條八十は「かなりあ(や)」(成田為三作曲)・「お山の大将」(本居長世作曲)・「肩たたき」(中山晋平作曲)・「鞠と殿様」(中山晋平作曲)といった童謡の歌詞もたくさん発表しています。また童謡詩人として活躍した西條八十は、無名だった金子みすゞを発掘した人としても知られています。
歌謡曲でも彼はいろんな曲を作詞しています。「蘇州夜曲」(服部良一作曲)・「東京行進曲」(中山晋平作曲、映画主題歌第一号)・「青い山脈」(服部良一作曲)・「この世の花」(島倉千代子のデビュー曲)・「誰が故郷を想わざる」(古賀政男作曲)・「ゲイシャワルツ」(古賀政男作曲)・「王将」(船村徹作曲)・「絶唱」(市川昭介作曲、三度も映画化)・「夕笛」(船村徹作曲)など、数え上げればきりがないほどです。すごい人ですね。