🗓 2022年04月16日
吉海 直人
『枕草子』と言えば、冒頭の「春はあけぼの」章段が一番有名ですね。中学校の国語や高校古文の教科書にも必ずといっていいほど採用されており、『枕草子』の代表的章段といっても過言ではありません。そのため、そこには伝統的な日本の四季折々の自然美や風物が鏤められていると思っている人が案外多いようです。みなさんはいかがですか。
しかしながらそれは明らかに誤解でした。本来、春の風物としては「梅・鶯・桜・霞」などがあげられてしかるべきだからです。そこに「あけぼの」が含まれる余地はありません。それにもかかわらず現代人、例えば初めて古典の授業で『枕草子』を習う生徒は、これをすんなり平安時代の美意識として受けとってはいないでしょうか。しかしながら当時の人々は、「春はあけぼの」という文章を耳にしたとたん、少なからず違和感を抱いたに違いないのです。
考えてみて下さい。仮に「あけぼの」が春の景物として既に認められていたとしたら、清少納言は当たり前のことを提示したことになります。それでは宮廷で評価・称讃されるはずはありません。となると『枕草子』は、決して当時の伝統的な美意識を集成した「平安朝美意識辞典」ではなかったのです。むしろそうではないから、言い換えれば当時の美意識とは異なっているからこそ、人々の注目を浴びることができたのです。
あらためて『枕草子』初段の構成を見ると、「春はあけぼの・夏は夜・秋は夕暮れ・冬はつとめて」と、一日の中で推移する特定の時間帯が切り取られ、それが四季と組み合わせられていることに気付きます(ここから「春のあけぼの」と「秋の夕暮れ」という対句も発生しました)。要するに「春はあけぼの」は、清少納言自身が新たに発見・提起した、ダイナミックな春の時間帯なのです(それが男女の「後朝の別れ」の時刻であることも重要!)。
そもそも「あけぼの」という言葉自体、上代(『万葉集』など)には用例がなく、平安時代においても古い『竹取物語』・『伊勢物語』・『古今集』には見られず、『うつほ物語』『蜻蛉日記』に至ってようやく登場している珍しい言葉です。『枕草子』にしても、冒頭の一例しか用いられておらず、当時としては非常にマイナーな言葉であったことがわかります(女性語かもしれません)。
類義語の「あさぼらけ」なら、既に『古今集』・『後撰集』に用例があります。それに対して「あけぼの」は歌語として古い用例がなく、初めて勅撰集に登場するのは遅れて『後拾遺集』であり、それが流行するのは『新古今集』まで待たなければなりませんでした。個人としては和泉式部の歌が嚆矢のようです(やはり女性)。その「あけぼの」にいち早く反応したのが『源氏物語』であり、用例数はなんと14例も認められます。しかもそのうちの3例(1例は和歌)は「春のあけぼの」ですから、『枕草子』を意識していると見て間違いなさそうです。
中でも光源氏の長男である夕霧が、野分(暴風)のどさくさに紛れて義理の母である紫の上を垣間見た印象を、「春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す」(野分巻)と述べているところは圧巻です。ただしこの文章はきわめて比喩的であり、しかも秋の夕暮に春のあけぼのを引き合いに出しているのですから、春と秋を対比させていることはわかりますが、薄暗い垣間見における紫の上の具体的な美しさはほとんど伝わってこない憾みがあります。
いずれにしても清少納言が、当時の伝統的な美意識とは異なる捉え方を提示したからこそ、周囲の人々の驚きに満ちた称讃を勝ち取ったのです。その代表例が「春はあけぼの」だとすると、最初にこの一文にふれた読者は、素直に受け入れるのではなく、むしろ「どうして?本当?」という驚きや疑問を抱かなければなりません。そこから古典の世界が開かれてくるのです。