🗓 2023年04月22日
吉海 直人
みなさんは「おかき」と「せんべい」の違いがわかりますか。そう尋ねると、材料が違うとか、形や大きさが違うという答えが聞こえてきます。具体的に、「せんべい」は丸くて平べったいもの、「おかき」は丸くなくて、「せんべい」よりも小さいものという具合に。それもわからないことはないですね。
材料の違いということは、昨年の6月3日に放送されたNHKテレビ「チコちゃんに叱られる!」の中で、「おかきとせんべいの違いはなに?」の答えとして、うるち米を原料にしているのが「せんべい」で、もち米を原料にしているのが「おかき」や「あられ」とされていました。ただしこれは、昭和4年に「米菓製造所」が登場して以降のことだとされています。
どうもこの説明だけでは不十分のようです。というのも、米以外に小麦粉で作った「せんべい」もありますよね。例えば南部せんべいなどの堅焼きせんべいがそうです。そのため関西では、小麦粉が「せんべい」で、米粉が「おかき」という別解もありそうです。また「おかき」と「あられ」の違いについても、「あられ」は関東で、「おかき」は関西という分け方もあります。もう一つは大きさで、大きいものが「おかき」で小さいものが「あられ」ともされています。「あられ」は「霰」に似ていることから命名されたものだからです。こういった分け方も無視できないのではないでしょうか。
そもそも基本に忠実に「おかき」と「せんべい」の歴史をたどると、むしろ小麦粉の方が古いことがわかりました。調べてみると、「煎餅」という言葉は『延喜式』の「唐菓子」の中に出ていたので、おそらく奈良時代には既に日本にあったと考えられます。ただし『和名抄』という辞書では、これを「いりもち」と読んでおり、今の揚げ煎餅に似た菓子だったとされています。漢字は「煎餅」でも中身が違っていたようです。
もちろん「唐菓子」ですから、当然中国から伝来したものということになります。そのため、弘法大師が中国から日本へ持ち帰ったという伝説もあります。中国の『荊楚歳時記』正月七日条には、「北人、この日、煎餅を食う。庭中に之を作り、薫火という」とあります。これが前述の「いりもち」なのでしょう。「せんべい」の起源はそれでいいとして、ではいつ頃小麦粉からうるち米になったのか、資料的にはよくわかっていません。
下って『和漢三才図絵』(1712年刊)を見ると、「せんべい」はまだ小麦粉で作ることになっていました。あるいは団子屋が、売れ残った団子をつぶして焼いたものを「せんべい」と称して販売したともいわれており、それが草加せんべいの始まりとされています。もしそうなら、唐菓子をルーツとする「煎餅」とは断絶していることになります。いずれにしても現在のような煎餅屋が登場するのは、さらに下って明治以降だとされています。ですから江戸時代にせんべい屋があったというのは、間違というか幻想だとする説もあります。
それに対して「おかき」は、「せんべい」よりも遅れて登場したとされています。ただし「おかき」の起源として、正月に年神様に供えた鏡餅を、刃物で切らずに小槌などで割ったり欠いたりしたものを使って「かいもち」(欠き餅?)を拵えたことから、その「かいもち」が女房言葉として「おかき」になったという説があります。これだと室町時代成立になります。
ただし、『徒然草』に出ている有名な「稚児のかいもち」は、実は「ぼた餅」あるいは「蕎麦がき」のことだとされています。金沢では今も「牡丹餅」のことを「かきもち」と称しています。というより「おかき」という言葉は、どうも古い用例がなさそうなのです。となると歴史の浅い「おかき」を、無理に「かいもち」に結びつけることで、起源を古く見せようとしているのかもしれません。「かいもち」と「おかき」が同じものではないとすると、むしろ両者は別物としてきちんと区別した方がいいのではないでしょうか。「おかき」と「せんべい」は意外に難しいですね。