🗓 2023年08月15日

田中玄宰墓

9月に早稲田総長が会津に来ます。田中愛治総長は会津藩家老田中家の子孫です。
光栄にも墓参りに同行することになり、下見に行ってきました。初代三郎兵衛正玄は猪苗代の見禰山にあります。
2代から天寧寺にあります。時間的に余裕があれば、日新館の創設者6代田中玄宰の墓がある小田山にも訪問可能か下見に行ってきました。
小田山は我々が小学生の頃は遠足でよく行ったものですが数十年ぶりです。道幅が狭くのろのろと結構往復は時間がかかることが判明しました。
会員の野村紀子さんの家系図を見ると田中家から嫁さんが来てます。
田中玄宰の叔父が田中総長の初めの当主田中源吾です。その娘が野村家へ嫁いでいたのです。
野村さんは日産自動車の元広報部長でキャリアウーマンですが、先祖は京都守護職時代の筆頭公用人でした。
当時、対外的な折衝は公用方が取り仕切っておりました。殿様が社長とすると社長秘書室のようなところです。
筆頭公用人と言えば今の社長室長のような役割です。
松平容保の京都守護職辞任の活動をしている最中に50歳の若さで病死し、金戒光明寺の会津墓地に葬られました。
歴史のIFは厳禁なのですが、佐兵衛が存命ならば歴史は変わっていただろうと言われています。